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レビュー対象=実家
山本竜也/瀬下翔太=島根県鹿足郡津和野町でNPO法人bootopiaの創業準備中。
レビュー対象=実家
山本竜也/瀬下翔太=島根県鹿足郡津和野町でNPO法人bootopiaの創業準備中。
宿泊施設は、観光宿・幸楽の一部を間借りして、宿の女将さんとともに運営する。photo: Shota Seshimo
下のうちから
私の実家は、原子力発電所の最寄りにふたつある。ひとつは、父が建てた一軒家。もうひとつは、そのほど近くに位置する海沿いの小さな民宿だ。小さい頃の私は、海から少し遠くにある一軒家を「上のうち」、より海に近い民宿を「下のうち」と呼んだ。
普段は「上のうち」で暮らしていたが、共働きしていた両親の帰りが遅い日は、「下のうち」で夕食をとった。食事は宿泊客と同じもので、厨房で食べることもあれば、ときには客と同じ食卓を囲むこともあった。会話の内容をおもえば、彼らの多くは原発作業員であっただろう。「上のうち」には電波が入らなかったから、「下のうち」で長電話ができるのも嬉しかった。疲れてそのまま泊まってしまう日もあって、そんなときはお客さんが入った後の大浴場を独占できた。夜は、時にベタ凪で、時に荒々しい日本海の波音とともに眠った。「上のうち」への帰り道では、朝から晩まで原発が運転を続けていた。
訪れるひとにとっては民宿であり、私にとっては住居である場所。そこで過ごしたことの意味は、家族と学校以外の社会に私をひらくことだったように思う。ひょんなことから島根県西部に位置する津和野町へと移住してしまった今となっては、「下のうち」に戻るのは年に一度だが──大晦日に家族揃って日本海の幸をたらふく食べるのだ。私の心にはあのころの記憶が今も息づいている。
仮住まいから
ぼくの実家は、少なくともそう呼びたい空間は、もう存在していない。それは都心まで40分ほどの郊外に位置する、小さなピンク色のマンションだった。バブル崩壊直後に子どもを生んだ、同じような経済状況で同じような構成の家族が10世帯ほど住んでいた。
家族同士の仲が良かったから、ぼくたち子どもはそれぞれの家を好き放題に出入りできた。こっちゃんの家で昼ごはん食べてMOTHER2、外に出てすぐの通りでドッジボール、隣の高いマンションに意味もなく侵入する、すぐ飽きる、しょーこちゃんの家でおかし食べて風来のシレン、自分の家で夕ごはん、おしまい。少なくとも思春期を迎える時点で、ぼくたちはみんなでこのマンションに住んでいるという意識をはっきり持っていた。ぼくはここが好きだった。
中学生になったぼくは、この自由自在だった場所を家庭の事情であっさり喪った。よくあることだ。子どもにとって実家のように感じられた空間が、親にとってもそうであるとは限らない。それからはずっと、自分の住まいだと感じられるところをつくれずにいる。津和野町に移住した今も、普段は古民家シェアハウスに住み、仕事が詰まると事務所で寝泊まり、たまの上京はレトベースか友達の家。いずれの住まいも仮住まい。少しだけ変化したのは、自分にとってここがどんな住まいであろうが、ここで生きているひとがいると感じるようになったことくらいだ。
下宿をつくる
津和野町にある唯一の高校・島根県立津和野高等学校には、毎年10人ほどの中学生が全国から入学し、卒業までの3年間長逗留する。ぼくたちふたりは今、そんな彼らのために、まちの観光宿を間借りした宿泊施設をつくろうとしている。
ただ寝泊まりするだけの場所ではない。かつて日本には、作家や絵描きが創作のために地方の温泉宿で長逗留する文化があった。これからつくるのは、そんな温泉宿のように、子どもたちが創造性を発揮する場所──宿泊客と交流し、地域と関係する、まちのあらゆる資源を自分自身のために自由自在に活用できる場所だ。
ぼくたち自身も、空間を提供するばかりでなく、彼らとともにそこで過ごし、学ぶ。そのことを通じて、少年時代を過ごした民宿の、マンションの、大切だった要素が蘇る。かつてはただ与えられた環境だったものたちが、今度は子どもたちとともに、ぼくたちの手でつくりだされる。