[review] Rhetorica Review

西野翔|中央・総武線各駅停車

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レビュー対象=中央・総武線各駅停車
西野翔=1993年生、東洋大学建築学科卒、卒業研究「スルーアーキテクチャー」 川越の築100年の改修中の木造長屋の設計事務所の一画を間借り中。

 昔、休み明けの宿題で「友人との夏休み」というタイトルの感想文を書いたことがあった。それを読んだ先生に、君は友達と遊びにいったの? それとも電車に乗ったの? と言われた。たしかに読み返すと感想文の内容の半分以上が、友達に会いに行く途中、電車の中で本を読んでいる話だったのである──
 中央総武線各駅停車は千葉駅と三鷹駅を結ぶ首都圏を横断する黄色の電車である。ベッドタウンとオフィス、さらには観光地までも繋いでおり、車内はいつも混み合っている。朝のラッシュ時はもちろん、始発でさえも座席が埋まっている。
 しかし朝のラッシュが終わるとこの電車はただの移動するハコから生活空間へと変わっていく。午前10時を過ぎると車内は徐々に空いていき、乗客は座席を一つずつ空けて座っていく。そこで人々は何をしているのかというと、暇そうに他の場所でもできそうなことばかりしている。例えばスマホやゲーム、読書や、喋ったり、寝たり、音楽を聴いたり、化粧をしたり……夜であればお酒を飲んでいる人までいたりする。
 山手線や地下鉄と違って、この黄色い電車には仕事や用事のための移動をしている人はいない。あくまで、家からどこかへ行きたい人、あるいはある所から家へと帰りたい人が乗っている。そのため公共の移動空間でありつつも、個々の生活がはみ出た空間になっているように見える。
 車内が、家や会社といった他の空間と最も異なっているのは、そこに発生している音である。車内には、電車を揺らすガタガタという音、人々の喋り声が常にBGMのように流れている。しかし私も含め、誰もが目の前のことに夢中でそれらの音を気にしていない。それどころか、そもそも他人のことさえ誰も気にしていない。座席のくぼみで穏やかに区切られた空間は、誰からも邪魔されることない個人のスペースであり、社会から切り離された場所なのである。
 私にとって、仲間のいる大学の製図室よりも、家族のいる家よりも、この見知らぬ人に囲まれた空間が、物事を考えるには一番よい場所であったりする。ゆっくりとは揺れないけれど、ガタガタと程よく揺れるこの電車が、何をするにも一番集中できる。
 中央総武線各駅停車という名の黄色い電車は、家でも会社でも学校でもない、見知らぬ人に囲まれた中途半端な場所である。ここは現代を生きる個人にとって、目的地に到着するまでのつかの間のユートピアなのである。生活の間にある、現代の公共性がここに詰まっているのだ。