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レビュー対象=NATTY FILM写真展「ファキナ」太田知也=『パルプ・フィクション』のようなダイナーを待ち望みつつ、鎌倉在住も早13年。あるいは『マイ・ブルーベリー・ナイツ』でもいいんだけど。初出=Rhetorica #03(URL)ほかのレビューも読む(URL)
レビュー対象=NATTY FILM写真展「ファキナ」太田知也=『パルプ・フィクション』のようなダイナーを待ち望みつつ、鎌倉在住も早13年。あるいは『マイ・ブルーベリー・ナイツ』でもいいんだけど。初出=Rhetorica #03(URL)ほかのレビューも読む(URL)
NATTY FILM写真展「ファキナ」/会期=2015/12/23<2013>2016/1/11/会場=ACE GENERAL STORE(http://ace-generalstore.com/)
photo: NATTY FILM https://www.flickr.com/photos/natty-film/
NATTY FILM(以下、Nと略記)の写真展*01を見る。この写真家は僕の中学時代の同級生で、約三年ぶりに顔を合わせた。江ノ電の江ノ島駅を下り、片瀬すばな通り商店街の喧騒を横目に細道を一本入る。この日は新年最初の三連休だったこともあり、八幡宮への初詣ついでの江ノ島観光客が押し寄せていた。もみくちゃにされた僕を迎える、ソファと灰皿の置かれたポーチ。それを擁する古着屋こそが展覧会場であり、名前はACE GENERAL STOREという。倉庫を空けてギャラリーとして使ったとのことで、四畳半二つ分くらいのスペースに30-40枚の写真が展示されている。約七、八年間で撮り溜められたうち、ハイスクール時代やそれ以降の「レゲエ狂いの頃」の作品、そして最近のものまでおおまかに分けて三期ぐらいの作品が並ぶ。
とりわけ初期の写真はストリート・カルチャーからの影響を隠さない。公園での酒盛りや立ちションだとかスケートボーディングの記録、そういったスナップが並ぶ。これを見て多くの人は『KIDS』の名前を挙げると、Nは言う。『KIDS』というのは一九九五年のアメリカ映画。ユースの伝導者たるラリー・クラークがニューヨークのキッズに取材してむちゃくちゃやった結果、カルト的な人気を博した。でも写真家自身にとっては、映画よりはクラーク初期の写真集『TULSA』のほうが好みという。そのポートレートはこんな風に始まる。
「一九四三年、オクラホマのタルサに生まれる。16歳の頃にアンフェタミンを打ち始め、三年のあいだ友人と毎日打ち続けた。やがて街を出るも、数年で戻って来てしまう。一度刺した針は決して抜けない。──L.C.」
(Larry Clark, Tulsa, Lustrum Press, 1971/訳文は引用者による)
僕の知っている鎌倉とタルサとのあいだには無限の隔たりがあるが、しかしNATTY FILMはそれをやすやすと短絡していく。実際、Nが「いっしょに遊んでいた友人」は薬物でディープなところまで行って「消えちゃった」。景観保護や旧弊な商工会の圧力によってすべてがイミテーションの古都へと塗り替えられていく場所──毎日僕は戦国武将の名前が掲げられた幟[のぼり]のなかを歩いているわけなんだけれども──としてではなく、オクラホマのタルサとして鎌倉を写すこと。
そう、僕はここで写真を見ていると被写体そのものではなく、むしろシャッターの切られたその場所について考えずにはおれない。鎌倉でふだん生活していてとりとめもないまま過ぎ去っていったワンシーンが想起されては、再び僕のなかを通り過ぎていく。例えばそれは、マクドナルドの三階を占拠する中学生たちはどうしてあんなにうるさいのだろうということ。もしくはある日の深夜、デニーズに逃げ出したくなっても徒歩圏内にそれがないということ。たぶんそういった記憶とリンクしてしまうのは、彼の写真が鎌倉という場所──若者がやんちゃに過ごすにはいささか窮屈かつ保守的なはずの──で好き放題やっている様子を写しているから、かもしれない。そしておそらくは彼らにとってこの土地は、僕が見ているほどには窮屈でもないのだろう。
Nが写真に収めた様子とはまた違った仕方で鎌倉を眼差す者として、僕はいまこの文章を綴っている。それがはっきりとした歴史記述のかたちを取らないにせよ、そのことの気分だけは、つねに僕のなかにわだかまっている。
「それで僕たちは年を取って、疲れて、僕たちの将来は後ろにある。だけど、歴史を記述したい気持ちとひとつのヴァイブレーションの下、歴史に影響を与えたことは僕たちのなかに残っている」
(ロラン・ガルニエ、ダヴィッド・ブラン=ランベール『エレクトロショック』アレックス・プラット訳、野田努監修、河出書房新社、二〇〇六年、382頁/強調は引用者)