[talk] GROUNDSCAPE2

この世代だけの復興?──地域と世代、それぞれの分断

LEADING

3.11からの復興──その薄れゆく現場のリアルな状況を捉えたドキュメンタリー『GROUNDSCAPE』(2016年)。
2018年11月に、その第2作である『GROUNDSCAPE2』の公開を記念したトークイベントが開催された。監督を務める岩本健太氏、製作主体であるGSデザイン会議の崎谷浩一郎氏と田邊裕之氏、さらに今作に出演し、気仙沼市市議会議員として復興の現場に携わりつづけてきた今川悟氏が登壇し、復興の現在と未来について語った。
本稿はレトリカの遠山がモデレーターを努めた当日のトークを再構成し、一部訂正や注釈などを加えたものである。座談会:岩本健太+崎谷浩一郎+田邊裕之+今川悟氏+遠山啓一
編集:C.Kageyama
写真素材提供:GSデザイン会議

00岩本 これから『GROUNDSCAPE2』の上映を記念して、トークイベントに入らせていただければと思います。では、司会のレトリカの遠山君お願いします。
遠山 はい、遠山と申します。今日はよろしくお願いします。普段はレトリカというメディア・プロジェクトで、雑誌を作ったりリサーチやフィールドワークを行ったりしています。今日は東日本大震災の復興をテーマにしているこの『GROUNDSCAPE2』について、制作に関わった皆さんがどういった問題意識を持ってこのシリーズを製作しているかについて伺っていきたいと思います。まずはこの『GROUNDSCAPE2』の製作に携わっている今日の登壇者の皆さまに、簡単に自己紹介をしていただければと。
田邊 田邊と申します。今日はよろしくお願いします。この映像を製作しているNPO法人GSデザイン会議の事務局を務めつつ、普段はEAUという土木設計事務所に勤務しています。
今川 気仙沼市 市議会議員の今川と申します。よろしくお願いいたします。『GROUNDSCAPE2』に出演させていただいているのですが、まさかこういうドキュメンタリーになってるとは知らず、滑舌が悪くて失礼致しました(笑)。よろしくお願いします。
崎谷 EAUの崎谷と言います。田邊君が所属しているEAUという土木設計事務所の会社の代表で、GSデザイン会議の幹事長もやっています。よろしくおねがいします。
岩本 『GROUNDSCAPE』シリーズの監督を務めている岩本です。前作の『GROUNDSCAPE』は2016年に公開したんですが、今回が2作目で、現在3作目も制作中です。今日はよろしくおねがいします。01三陸/復興/『GROUNDSCAPE』遠山 ありがとうございました。まずGS会議の成り立ちと、どうして『GROUNDSCAPE』という復興をテーマにしたドキュメンタリーの制作を始めたのかについて、田邊さんから教えていただけますか。Screen-Shot-2019-01-24-at-10.20.19田邊 『GROUNDSCAPE』を製作しているGSデザイン会議というのは、日本全国でまちづくりに関わっている専門家が集まって、今の日本の国土計画や都市計画に関する問題や課題意識を共有するために設立したNPO法人です。設立は2005年で、活動を進める中で、2011年に東日本大震災が起きました。
 GSデザイン会議のメンバーは、都市計画の専門家や土木の設計者などさまざまな人がいて、実際に復興に携わっている方も多くいます。ただ、そういった実務的な活動とは別に、まちづくりの専門家が集まるNPO法人として、震災や復興に対して、何かすべきことはないだろうかというとを考えました。そこで出てきたのが、復興の現場を自分の眼で見て回って、共有する機会となる視察会、三陸視察を主催するという案です。『GROUNDSCAPE』はこの三陸視察をベースにしたドキュメンタリー映像になっています。
 視察会は毎年9月くらいに開催しています。2泊3日でとにかくいろんな街を見て回ります。だいたい青森県の八戸市あたりからスタートして、南下しながら仙台あたりまでで、1つ1つの街を見れるのは数時間くらいですが、とにかく毎年定期的に足を運んで、復興がどのように進んでいるのを自分たちの目で見続ける。そして、その道中でそれぞれが感じたことや、課題意識を議論するという活動を続けています。02遠山 ありがとうございます。その視察会はもう4回ほど開催されているとのことですが、その内容を映像というメディアで発信しようと思った背景にはどのような意図や経緯があったのでしょうか?
田邊 GSデザイン会議は、会員有志でフリーペーパーを制作したり、自分たちの課題意識を社会に発信することに取り組んできました。『GROUNDSCAPE』の製作は、その延長に位置づけられると思います。三陸視察を毎年やっている中で話されている議論だとか、そこで目にした風景というのを、きちんと記録としてまとめて、社会に発信していくような活動をした方がいいんじゃないかなと。ただ、復興というのは非常に複雑なテーマですし、風景も毎年大きく変化しています。なので、映像というメディアで伝えるのが一番良いんじゃないかと考えました。それで岩本さんにお声掛けして現地に一緒に来てもらい、映像を作ってきたという感じですね。
遠山 『GROUNDSCAPE』は今回で2作目になりますが、前作を見ていないという方もいらっしゃると思うので、1作目がどういう作品だったのかと、今作との関係について、岩本さんから解説していただいてもいいでしょうか。
岩本 1作目は内藤廣さんや篠原修さんなど、復興に関わっている建築家や土木の専門家の方などへのインタビューを中心に構成されたドキュメンタリーになっています。つまり、前作はどちらかというと、専門家というか、ある意味で“東京側”の視点が多かったんですね。ただ、こうした内容にすると、やっぱり「被災地の方の声が聞こえてこない」みたいなところもあって、今回の2作目は前作への応答というイメージで、実際に三陸地域に住まわれている方へのインタビューを中心に構成されています。
遠山 なるほど。2作目は、気仙沼市の市議会議員として復興計画を主導されている今川さんのガイドで、実際に復興の現場を歩くというシーンが印象的ですよね。03田邊 視察会って、基本的には自分たちが勝手に見て回っているんですが、学生時代にGSの活動に参加していた玉川さんという方が地元の気仙沼に戻られて三陸新報社の記者をしていて、その玉川さんから、「気仙沼を見るなら是非!」と今川さんを紹介していただいたんです。で、会ってみると「すごい人がいた!」と感銘を受けて、ぜひ今作に出ていただきたいと。今川さんは気仙沼市の市議会議員になられる前は、三陸新報社で記者をされていたんですよね。
今川 はい。復興ってとにかく複雑で、分かりにくいものなんです。新聞記者だった時は、その複雑さを、なるべく努力してわかりやすく発信するということを使命と思って、やってきました。そのあと、復興を伝えるために仕事も辞めて、今は議員という立場でずっと復興を見ています。皆さんには今回の映画もそうですが、被災地の復興の現場では、実際にどういうことが起こっているのか、というのをぜひ直接伝えたいなと思っています。
遠山 視察会や今回の映像で、どういった地域や産業を取り上げるかというアイデアの部分は、実際の現場を知る今川さんからの提案があったのでしょうか。
田邊 全体の行程自体は私と崎谷で相談して決めていったんですが、気仙沼については、今川さんにお任せする形でした。
今川 私が一番伝えたいと思っていたのが、防潮堤の問題でした。この問題って、防潮堤そのものの部分だけを切り取って伝えられるんですが、実際は背後地のかさ上げのことや居住制限の問題など、色々な要素が絡んでいるんですね。防潮堤だけを見るとすごく批判を受けるんですが、そこに住み続けるということを念頭に置いてまちづくりを進めてきた中で、あとから防潮堤を作る、作らないという議論に立ち戻ることが難しかったというリアルな部分を伝えたいなと思っていました。04「復興」と「分断」遠山 なるほど。少し補助線を引かせてください。僕自身建築をしっかり学んだことがないので、今日いらしている専門家の方々からすると当然の議論なのかもしれませんが、この作品を見て防潮堤の問題に触れた時に、最近読んだ藤村龍至さんの『ちのかたち──建築的思考のプロトタイプとその応用』(TOTO出版、2018)に書かれている話が参考になるなとぼんやり考えていました。この中で彼は、ロバート・ヴェンチューリの『建築の多様性と対立性』や政治思想における「漸進主義」、ソフトウェア設計の比喩を使いながら、プロジェクトに対する取り組み方を2つに分類しています。1つが、大きな1つの目的に向かって、全員がそれに従うという「ウォーターフォール型」。反対にもう1つが、細かい1つ1つの問題に個別に向き合いながら進める「アジャイル型」です。05 この分類に即して考えると、前作の『GROUNDSCAPE』では、数千億かけて行われるウォーターフォール型の国家プロジェクトに対する学識的な批判や意見がまとめられている。反対に今作では、それぞれの地域や産業が抱える問題をアジャイル的に個別に取り上げている。先ほど今川さんが仰ったように防波堤問題って一口に語られがちですが、実はその中にも複雑かつ分断されているさまざまな問題がある。『GROUNDSCAPE』シリーズは二作を通じて両方の側面から防波堤や復興の問題をうまく取り上げていると感じましたが、今作で個別の物語や問題を提示するにあたって、工夫した部分というのはありますか?
岩本 今、「分断」っていう言葉が出てきましたけど、前作で防潮堤を撮ってみたときに、本当に外と内っていうか、海と内陸みたいな、言葉以上の分断があるんだなというのを強く感じたんです。だから今回の2作目の構成を考えるにあたっても、分断というキーワードがヒントになりました。
 この分断というを他の事例に当てはめて考えてみると、やっぱり復興地域においてさまざまな事業や産業で、「継承の部分での分断」という問題があるなと。お菓子屋さんを継ぐ人がいないとか、継ぐ人がいない中でも補助金や助成金はあって、次の時代に何とかしようという矛盾した建前があるというような。人間の縁みたいな部分の分断というところに、防潮堤の問題は遠巻きながら関わっているといえるんじゃないかなと。
田邊 分断っていう話で言うと、今作の中で住民の方が防潮堤の説明をしてくれるシーンがあるんですが、住民の中にも防潮堤を作りたい人と作りたくない人が当然いて、そこでも住民の中での分断がある、というような話をしてくださっています。今作で現地の一次産業にフォーカスした理由の1つはその辺にあって、なんでその分断が生まれるのかという背景には、安全に対する考え方の違いだけではなく、働くことに対するスタンスの違いみたいなものがあるんだなと。きちんと土地と共に暮らしていこうと考えているひとと、割とサラリーマン的というか、「仕事は仕事」というようにドライに働いている人が同じ地域の中にも混在しているんですよね。この考え方の違いも根っこの部分で、地域の分断につながっている。06 で、都会からすると、こういう部分ってなかったことになっている。みんなさもその土地とともに暮らしている人しかいないかのように扱って、「防潮堤反対!」みたいな。でも、問題の根本にはそういった産業構造や、スタンスの違いみたいなものがある。きちんとそこに向き合わず、ただ単に行政主導のトップダウンで防潮堤を作って……みたいな批判をしていても、あんまり建設的な議論にならないんじゃないかという問題意識があります。
 さっき遠山さんが、ウォーターフォール型とアジャイル型という話をされましたが、行政主導による上からの復興とは別に、各地域の暮らしから積み上げて復興まちづくりをやっていくみたいな方法論もあるよね、という話は専門家界隈でも初期から出ていました。ただ、それは理想として語られるだけというか、行政批判をするために持ち出されたみたいなところがあって、暮らしを起点に復興すると言った際の「暮らし」とは一体何なのか、みたいな部分をしっかりと考えられてはいなかったんじゃないかなと。だから、今回の視察会では、そういった部分を考えるために、実際に自分たちでそれぞれの地域の暮らしを見て回ろうという意識がありました。見えてきた復興の課題遠山 確かに今回ドキュメンタリーの中で紹介されている個別の問題はどれも人の生活が見えるものが多いので、とても興味深い反面、個別にはどれも解決が難しいのではないか、と感じてしまうものが多いですよね。さっきの話に戻ると、実際に『ちのかたち』の中で藤村龍至はアジャイル型も新たな硬直性を生むとしてその先に「超線形設計プロセス」や「批判的工学主義」という第三の態度を提唱しています。今回の映像で「一次産業の中に解決の突破口があるのでは」というお話が出ていましたが、今川さんその辺りはどうお考えでしょうか。
今川 前提として復興事業というのは、「10年間で全て完遂する」という大きな目標があります。現在はそれに向けた計画はもう全て固まっていて、工事を終えて完成しているものもあるという状況です。特に住宅と産業施設については、建物はほぼすべて完成しています。今後取り組むのは、公園とか観光施設など公共施設ですね。
 その上で、今私が感じていることを話すと、これまでの7年間というのは、あえて課題とあまり向き合わないようにという姿勢で突っ走ってきたところがあると感じています。ただ、これからは被災地として「現状の課題をちゃんと捉えられているのか?」という再確認から取り組まなくてはいけないと思っています。
 どういうことかというと、やっぱり皆さん分かっていると思いますけど、復興予算って最初に金銭的な枠組みが決められていて、無くなったらおしまいという仕組みなんですね。この予算というのは国民の方への増税で成り立っているので、もちろん大切に使わなくてはいけないという気持ちはもちろんあるんですが、その一方で、被災地間の予算獲得競争を生んでしまった。で、競争がある中でどのように予算を獲得しようかと考えると、「これを作るともっと良くなるんだ」というように、とにかく大きな夢を語るようになってしまったんです。
 ですが実際は震災から7年も経ってくると、人口の減少や、土地のかさ上げはしたものの、商店が建たないといった現実が出てくる。今一番困っているのは、建物を建てる予算はあるけど、それを運営してくれる人がいないという問題です。これはやはり採算が合わないという問題が大きいのですが、被災地は今完全に人手不足になっています。これまでいわれていた人手不足というのは、工事などの作業に関するリソースのことだったのですが、今はプレイヤー、その土地で実際に活動してくれる人が今足りないという状況です。だから復興の糸口ということでは、人をいかに被災地に呼び込んで、それも今までのような支援ではなく、事業者として呼び込めるかということになると思います。07暮らしと復興──その矛盾崎谷 先程分断という話がありましたが、そうした問題の背景として、今川さんはよく震災やその復興が、家族とかもともと気仙沼にあった地域コミュニティの形っていうものをすごく変えてしまったことが大きく影響している、ということをおっしゃりますよね。
今川 はい。それに関連するエピソードでいうと、今ちょうどワカメの種付けといって、ワカメを海に入れて、成長させて刈りとるっていう作業が始まるんですね。そこですごい困ってることがあるんです。沿岸には防潮堤があるんですが、その後ろを災害危険区域に指定して、人を住めないようにしているんですね。その一方で、山を削って、人はどんどん高台エリアに住んでくださいという復興なんです。
 そのワカメづくりの作業は海辺で行います。ただ、作業が発生するシーズンは限られているので、社員を雇うことはほとんどありません。作業が発生するシーズンだけ、近所のおばちゃんたちを集めて、色々な作業を手伝ってもらうんです。ただ、今は周りに人がいないんですよ。ワカメの作業場はあるけども、おばちゃんたちは高台にいる。そもそも車を運転できないし、毎回毎回バスで迎えに行くのもちょっと難しい。というわけで、私がよくこのワカメ作業を手伝っています。「私はあなたを応援して一票入れたんだら!」と言われると、なかなか断れない(笑)
一同 (笑)
今川 でも実際に作業を手伝ってみると、やっぱり長年作業をやってきたおばちゃんたちにはとうてい敵わないわけです。これはワカメだけじゃなく、牡蠣などでも同じです。牡蠣って殻を剥いて出さなくちゃいけないんですが、この作業、おばちゃんたちはすごく上手い。でも、そういう牡蠣の出荷作業をする場所の周辺にも人は住んでなくて、今までお小遣い稼ぎに来ていたおばちゃんは来られなくなってしまった。それでも産業として成り立つかというと、これは成り立たないんですよね。今作の中で養殖の話が紹介されていますが、これもすごく難しい。これまで主流だった漁船漁業は、どちらかというと人を雇って乗せていくっていう仕事だったんですが、今は養殖の方が産業として大事になってきている。でも養殖っていうのは、家内作業なんですよね。家族や周辺地域の人たちが一緒にやることで成り立っているというか。
崎谷 そうなんですよね。だから地域と、その人の暮らしっていうものをいろんなところで分断して、切り離してしまった。これは「命を守る」とか「暮らしを守るため」という目的があったんですが、その目的のためにやったことによって、かえってこれまでの暮らしが営めなくなるという、すごく矛盾した状況になってしまった。今川さんはこうした状況を見て、「人のための復興にならなかった、なってなさそうなのが残念だ」、っていうことをよく仰りますよね。で、本質的な意味で、人のためになる復興というのは何なんだろうと。
遠山 今回のドキュメンタリーの最後でも「ずっと人が住むように設計されなかった」っていうお話をされていますよね。
今川 そうですね。
遠山 合理的に行政が推し進めていく復興では、個別の地域やコミュニティにある問題を拾いきれない現状があるということですよね。先ほど例としてワカメの話がありましたが、そういった個別の問題に対して対処というのはなされているのでしょうか。
今川 ワカメは海で刈ってきて、そのまま出荷することも可能なんです。そうすると手間がかからない。でも、それじゃあ儲けが少ないんですよね。だから、なるべくワカメを葉と茎と分けたりして、高い値段で売るという仕組みだったんです。でも今はそれもだんだん無くなってきて、めかぶだけ切って売っちゃえみたいになりつつあって、お金が回らなくなってしまっています。
遠山 反対に、ここは分断を逃れて、個別の問題をうまく拾うことができたなっていう地域や産業ってあるんでしょうか。
今川 多分それは皆さんがイメージしやすい、防潮堤の後ろをかさ上げした市街地エリアじゃないでしょうか。市街地は防潮堤の後ろに人が住まなくなると復興にはならないので、土地をかさ上げして、防潮堤を津波が乗り越えてきても大丈夫なようにしているんです。これができるのは基本的に人がたくさん住む市街地だけなんですよね。08 ただ、こうして市街地は人が分断しないようにはしたんですが、商業というか時間の分断っていうのがあります。7年も経つとですね、仮設で移転した先で始めた商売にお客さんがついて、結局こちらに帰ってこないという方も多いんです。すると、人はなんとか残したものの、今度は経済の方が帰ってこないというこじれた状況が生まれてしまっている。「暮らしからの復興」を再考する遠山 なるほど。やはり個別にはかなり難しい状況が散見されるということですね。ありがとうございます。ここからは、1人ずつお話を聞かせてください。今日登壇なさっている皆さんは、建築、映像、行政というさまざまな立場で復興に関わっていらっしゃると思います。その中でこれまで話していた「分断」、つまり個別のコミュニティや産業に、拾いきれない問題が浮かび上がってきてしまっている現実に対して、今後どう向き合っていくか、どう考えているかをお聞かせいただければと。
田邊 私は今作の最後で、今川さんが「この世代だけの復興だったのかもしれない」と話さされていたのが非常に印象的でした。それって多分言い換えると、個人に対する復興しかできなかったっていうことなのかなと思うんですよね。今作の中で、都市の論理と、いわゆる田舎というか地方の論理とは違うよねという話をしているシーンがあるんですが、地方だといわゆるインディビジュアルっていう意味での個人ではなくて、先祖代々とまではいかなくても、地縁というか、その土地の中で暮らしてきた人としての広がりのある個人というものがある。そこは今回の復興でカバーできなかったんじゃないかなとは思っているんですよね。
 産業の視点で見ると、これからは、「あそこの土地にこれだけ無理してまで住み続ける理由ってなんなんだろう?」っていうのはやっぱり考えていかなくてはいけないと思っています。そのために今作では、例えば気仙大工の町として有名な住田町で、大工の方たちにインタビューをしています。その中で、昔の大工の人たちはどうやって暮らしていたのかを伺うと、実際はみんな地域の中で完結しているのではなく、オリンピックがあるから東京に出稼ぎに行っていた、というようなことを話されている。つまり、その地域だけでは生活が成り立たなくなっているみたいな問題って、今の世代から始まっていることじゃないんですよね。09 だから、本当に「暮らしからの復興」と言うんだったら、その暮らしをどういう風にもう1回作っていけるか、みたいなことを考えなきゃいけない思っています。次に何かこういうことが起きた時に、暮らしからの復興っていうのを考えようと思ったら、単に行政が進める大きな計画と、住民の間を調定するだけではダメなんじゃないかなと。その時にそれを都会の人間がやろうとすると、今作の中にも登場していた遠野の馬の事例みたいなものは1つの方法なんじゃないかなと思っています。いわゆるサラリーマン的な感覚かもしれないですが、そうした方法についても、その良し悪しをみんなで議論するということはやりたいですね。
遠山 今川さんお願いします。
今川 今作の中で、「2階に住みながら1階で床屋さんやってた時は良かったね」っていう話をしていたんですが、やっぱり地方って、三世帯同居っていう家族の形態があるから多くのものが成り立ってたんです。要はおじいちゃん・おばあちゃん世代、われわれ世代、子供世代が同じ家にいて、おじいちゃんおばあちゃんが子供の面倒をみたり、逆に介護をする人がいたりというように、世代ごとに家族を助け合うみたいな部分が東北の良さだったと思います。それが今回の復興では、例えば防災集団移転で団地ができた時に、一世帯当たりの居住面積は100坪っていうルールができました。これって、三世帯一緒に住むには狭いんですよ。そうすると、おじいちゃんおばあちゃんは公営住宅に入って、若い人たちは別に家を建てるみたいな、家族の分断が進んでしまったんです。
 その結果今どうなっているかというと、気仙沼で初めて待機児童っていうのが出始めたんです。今まで0〜2歳の子を保育所に預ける人って本当にいなかったんですけど、家族の分断が進んだ結果、今は預けたいという人が急増している。それくらい気仙沼の今までの仕組みが崩れちゃったんですが、果たしてそれを復興初期に計画を立てる際に、「三世帯で暮らせるような街を目指そう」と言えたかといういと、そうではない。ただ、そういう「東北ってなんだろう?」と最初に考えられなかったことのツケが、今回ってきています。
 もう1つ事例を言えば、防潮堤って、物凄く住民が反対している中で行政が押し切って建設したっていうニュアンスの報道が多いんですが、実は全く逆なんです。行政は住民の合意を得ない限り進められません。じゃあ、なぜ合意を得られたかっていうと、地方にはまだ首都圏などと比較して、自分たちは発展から取り残されてきたっていう思いが強く残っているんです。だから、コンクリートの防潮堤は発展の象徴だと捉えているおじいちゃんたちが多いんですよ。コンクリートの防潮堤がちゃんと整備されることによって、若い人たちがここに帰ってくるだろうと本気で思っているんです。でも、都会から見た田舎の豊かさっていうのはそういうものではなくて、海も山もいっぱいで、人工的な構造物が無い海岸の風景を期待していますよね。だから、いざ帰ってこようとしたらコンクリートの壁で海が塞がれていて、結局は戻ることをやめてしまったといった話もあります。
 これはつまり、復興の在り方について、ちょっと先の未来を見越した議論ができていなかったということです。人の命が最優先だっていう、ある種の内向きな視点で全部進めてしまったと。だから、こうして映像を撮ってもらったり、視察を一生懸命案内したりすることで得られる外からの視点って、物凄く新鮮で、われわれに立ち止まったり反省する機会を与えてくれているんですよね。まだ修正が効くところはあるので、これからも外の視点からの意見を頂きたいと思っています。ぜひ皆さんも被災地に来て頂いて、外からの視点でどんどん物を言って欲しい。皆さんの復興増税がどう使われて、今後どう進むのかっていうのをちゃんと見に来て欲しいと思っています。10遠山 ありがとうございます。崎谷さんお願いします。
崎谷 僕らは専門家と言われる立場にいる以上、まずは気持ちをずっとその場所に寄せ続けることだけはやらないといけないという風に今も誓っています。震災や復興に対して、「できることは何もない」と断言する方もいますが、それはそれで潔いとは思いつつ、「それで本当にいいのか?」っていう思いもすごく強くある。本当の専門家であれば既存の枠組みや立場を超えて、何かできることを模索し続けなきゃいけないんじゃないかなと思います。そのためには、その土地に生きる、その土地と共に生きる人のことをやっぱり考えて、直に会ってお話を聞いたりするということを絶やさずにやっていきたいなと思います。どうしても、時間が経つにつれて自分自身の中でも薄らえていくものもあるし、そういった時にこうした映像という形で残っているということは自分にとってもすごく意義深いことだと感じています。だから、これからもこういう機会を設けていきたいと思います。
遠山 ありがとうございます。最後に、監督の岩本さんおねがいします。
岩本 これは失礼かもしれないんですが、復興とか被災地とか東北とかっていうのは、個人的には1つのフィルターなんじゃないかなと思っています。多分津波にさらわれてしまって、たまたまこの場所が剥き出しになったことで色々な問題が浮き出ているけど、ここで出てきた問題というのは日本全国に共通するものがたくさんあると思う。
 特に被災地とかに行くと感じるのが、イエスorノーで片付かない、二択ではないような問題がたくさんある。きっと世の中には、こいういう二択じゃない何かみたいなものや、すごくなんでもないものだったりとか、そういうところにすごくこだわりを感じて活動をしている人がいると思います。特に今川さんは、僕的にはすごくインデペンデントで活動している、他に類を見ない議員の方なんじゃないかなと思う。
 そういうとマジョリティかマイノリティかとか以外の何か選択肢を、こういった活動の中でどんどん示していきたいですね。今日ここに来て頂いた方は基本的に、都会が欲しがる田舎、みたいなことに対して疑問を持っている方たちが多いと思うんですが、今回初めて来て頂いた方も含めてこの輪を広げていければいいなと思っています。そういう思いで今後も活動していきますので、引き続きよろしくおねがいします。11「分断」を乗り越えるために遠山 皆さんありがとうございました。まとめ的に僕の方からも、最後にもう1つ紹介させてください。小松理虔さんの『新復興論』(ゲンロン、2018)という本を持ってきています。この本の中で、小松さんはまさしく今日話していた分断について書かれていて、復興に際していろんな地域で起きている分断に向き合うための方法として「食」「原発」「文化」という3つの手法を提唱しています。12 いまの話に関係する食と文化に関して簡単に言うと、美味しいものを食べて「めっちゃうまい」みたいな瞬間って、その時には括弧つきの被災地も復興も頭の中にはないと。つまり今日話していた様々な「分断」を乗り越える力があるというような話をしています。またそういった想像力をどんどん豊かにさせていくことが、今日話されている「人にとっての」復興に繋がるんじゃないかと。
 さっき岩本さんも仰っていましたが、僕が今回のプロジェクトをお手伝いさせていただく中で、一番面白いと思ったのは、「現代」や「人間」、「生きる」という問題が、復興を通じて明らかにされていく点だと思います。地方のまちづくりで「よそ者、若者、ばか者」論というのはよく聞かれると思うのですが、この『新復興論』の中ではそれを「外部・未来・不真面目」という3つに置き換えてるんですね。これは今、日本のあらゆる場所で必要とされている要素なんじゃないかと個人的には思っていて。13 外部っていうことで言うと先程今川さんが仰ったように、自分たちの目の前にある問題に向き合う時に、ポッと外部の人が入ってきた時に考え方が変わったり、現実を読み替える力が出てくる。未来は、今の世代だけを考えるのではなく、そもそも「そこにこの場所に住み続けるって、どういうことなんだっけ?」という本質的な問いを僕らに与えてくれます。最後の不真面目っていう部分に関して言うと、岩本さんも不真面目なんで岩本さんに聞くのが一番良さそうですが(笑)
岩本 いや、そうですよね。どう見てもそうだと思いますよ、はい。
遠山 (笑)。どこでもそうですけど、日本の閉塞感を生み出している大きな原因の1つに、これはこうあるべきだとか、こういう風にやらなきゃいけないみたいな、合理的で伝統的な意味があるわけでもないのに、なぜか存続してしまっている慣習や「真面目さ」みたいなものがあると思っていて、そういうものから生まれる「生きづらさ」や「閉塞感」に対して不真面目さを持つということが、僕ら世代には求められているんじゃないかとよく思うんですね。辛くなったらサボるとか、嫌なことは嫌って表明するとか、満員電車に乗らないで遅れてもいいからのんびり歩くとか。
 復興っていうと「いや、政治的な問題は……」みたいな拒否反応をする若者が特に都市部では多いと思うんですが、そういった「人間らしく生きる」というヒントがこの問題にはあるということが知れてとても面白かったし、それが伝わればもっと多くの人が当事者意識を持って復興の問題について考えられるんじゃないかと思います。
岩本 今のちょっと乗っていいすか?
遠山 どうぞどうぞ。
岩本 僕は今みたいに復興に関係した活動に携わる前、自分が社会に対してどうやって関わっていくかみたいな堅苦しい話をちょっと考えてた時に、「政治しかフィルターがないんじゃないか」って思っていたんですよ。でも、こうやって復興に関わっていく中で、「震災遺構」っていうフィルターがあって、そういう建物って、見るのも辛いということで、壊されていくことが多い。そこには、色々な考え方があると思うんですけど、僕は基本的に反対なんです。「政治のフィルターしかない」と思っていた時は、なんかこう社会的な関わり方とか、ポジショニングみたいなものがつかみづらかったんだけど、こういう震災があって、被災地の中でそういうフィルターを見つけられたっていうことが、自分にとってはすごく大きかったなと。被災地ってそういうものがきっとまだたくさんあります。そういうフィルターを見つけてもらって、何かのきっかけになってくれれば、こういう映像を作ったことにも意味があるんじゃないかなと思います。
遠山 皆さま今日はありがとうございました。

[2018年11月18日──於UPLINK渋谷]14Screen-Shot-2019-01-24-at-10.21.07