[thesis] “Mobility and Urbanism”

移動性から見た近代都市の諸相──未来の鎌倉における中速の都市マスタープランを目指して

DESCRIPTION

本稿は慶応義塾大学大学院 政策・メディア研究科における「モバイル・メソッド(Mobile Methods)」プロジェクト(担当:加藤文俊+石川初+水野大二郎)の成果報告論集に収められた。著者:太田知也

KEYWORDS

モビリティ、中速、高齢化、観光、鎌倉、都市史

01

都市空間への戦術的な介入の事例としてはイアン・ボーデン『スケートボーディング、空間、都市──身体と建築』(ボーデン、2006)に詳しい。ここでは第二の自然として構築された建築を「壁、ガードレール、階段、縁石、手摺り、塀などのエレメントの組み合わせ」(南後、2006)として読みかえ、滑走するスケートボーダーたちの戦術的な介入の作法が語られている。ほかにもタクティカル・アーバニズム(Tactical Urbanism)の諸実践もこの系譜に連なるものである。

Fig.01

それぞれの移動手段が構成する空間と時間(筆者作図)

Fig.02

石井、前掲書; 237より

Fig.03

手塚、1994; 43 図3より

08

海面上昇の予測については諸説あるが、近年の見直しによって今世紀末には数メートル程度の上昇が見込まれている(Folger, 2015)。

02

カイロス時間とは、「時計がいつを指し示そうとも、いまがそのことをすべき時であるという時の時間感覚である」(アーリ、前掲書; 148)。次節で見るように、このような時間感覚は時計という抽象的かつ客観的な尺度によって希薄化していく。

03

産業革命以前には、レディングの時間、エクセターの時間など地域ごとに固有の現地時間が存在していた。「馬車の車掌、後の鉄道の車掌は、その車両が通過する街の相異なる時間に対応するために、時計を調節しなければならなかった」(アーリ、前掲書; 145-146)。それが統一されるには、1847年頃から採用され始めたグリニッジ標準時を待つことになる。

04

定刻に対する遅刻という概念もまた、クロック・タイムを前提としたものである。

05

歩くというのは身体を通じた全感覚的な経験だったが、鉄道の車窓は視覚優位の経験である。このことと前後して、カメラやガイドブック、葉書といった視覚再生産のテクノロジー(シヴェルブシュ、1982)が発明され、場所はアウラを喪失していった(アーリ、前掲書; 151)。

06

「第一に、自動車は、二〇世紀資本主義を主導した産業界とイコン的企業が産み出した典型的な製造物である(フォード、ゼネラル・モーターズ、ボルボ、ロールスロイス、メルセデス、トヨタ、プジョー・シトロエン、フォルクスワーゲンなど)。〔…中略…〕第二に、ほとんどの家庭において、自動車は、住宅関連の支出に次ぐ個人消費の主要項目であり〔…中略…〕第三に、自動車移動は強力な複合体であり、技術面、社会面で他の制度、産業、関連業務とかなりの点で連環することで構成されている。〔…中略…〕第四に、自動車システムは余暇、通勤、行楽の際の主たる移動形態であり、徒歩、自動車、鉄道旅行など他の移動システムを従属させている〔…中略…〕。第五に、自動車文化は支配的な文化へと発展し、よい生活をかたち作るものや二〇世紀のモバイルな近代市民にとって必要なものをめぐる主要な言説を生み出している。〔…中略…〕たとえば、E・M・フォースター、ヴァージニア・ウルフ、スコット・フィッツジェラルド、ダフネ・デュ・モーリア、ジャック・ケルアック、ジョン・スタインベック、J・G・バラードらの小説〔…中略…〕。第六に、自動車システムは、大量の環境資源を利用し、桁外れの死傷者を生み出している。〔…中略…〕第七に、『自動車移動』は、自叙伝の概念に見られるような人文主義的な内なる自己〔自ら動かす──訳者註〕と、自動とかオートマトンとかいう場合の移動能力を有する物や機械〔おのずから動く──訳者註〕との融合を意味している」(アーリ、前掲書; 172-176)。

07

空港をモデルとしたジェネリック・シティについてはレム・コールハースらによる『Project on the City 2: The Harvard Design School Guide to Shopping』(Koolhaas et al., 2002)および『無印都市の社会学』(近森・工藤編、2013)に詳しい。

Fig.05

斎藤、前掲書; 254 図8より

Fig.06

ラグーンから河川を通じた水運状況の復原(筆者作図)

Fig.04

斎藤、前掲書; 255 図9より

Fig.07

斎藤、前掲書; 268 図13より

はじめに筆者は修士研究として鎌倉市を対象に未来の都市マスタープランの提案に取り組んでいる。鎌倉市は都心部からアクセスのしやすい海水浴場を備えた観光地として(高橋・久保田、2004)、年間2,000万人前後の観光客を誘致している(鎌倉市、2014)。これに伴って、公共交通機関である江ノ電の混雑や日常的な自動車渋滞といった問題が生じており、「観光公害」(高橋・久保田、前掲書)として理解される。同時に、鎌倉市は著しい高齢化に直面しており、上記の移動手段に関する問題は、とりわけ高齢者層の住民にとって大きな制約となりうる。したがって本研究では、未来の鎌倉市の都市マスタープランにおける主要なデザイン・チャレンジは高齢者の移動となるだろうという仮説を有している。
 「移動性(モビリティ)」から見た都市デザインの文脈で先行研究となるのは、モビリティーズ・スタディーズ(アーリ、2015)という社会理論である。これは空間地理学や観光社会学、ネットワーク理論や複雑系科学といった広範な領域の成果を取り入れつつ、グローバル化によって変容した社会について人間/情報/モノの移動という観点から分析するものである(吉原、2015)。本稿ではそれらの移動を媒介する自動車や鉄道といった移動手段に関するアーリの分析にとりわけ着目しながら、それを都市論として読みかえることを試みる。そのうえで、グローバルに喫緊の課題となりつつある超高齢社会を見据えて、移動の機械化に伴って加速を続けてきた近代都市(アーリ、2015; 141)の様相を素描し、筆者自身の研究を位置づけることが本稿の問題意識となる。
 以上を踏まえて、本稿の構成は以下のようになる。1.移動が機械化され、近代都市がいかにして速度を重視するようになったかという道程をモビリティーズ・スタディーズの視座から確認する。アーリは移動の機械化による人間環境の変容を後戻りできない「ファウスト的な取引」と呼び、利便性と引き換えに歩くことや直に経験することといった力が奪われつつあることを警告している。そしてその延長上には、スマートカーに最適化したエネルギー管理社会というディストピアを見据えている(同; 第二部および第13章)。このような理論的な作業を通じて、2.鎌倉に関する基礎的なスタディとして中世都市研究を参照する。最終的には、3.アーリのビジョンを批判的に検討するなかで超高齢社会に合致した都市計画を探るべく、ゴルフカートという移動手段の可能性を示唆している都市デザインの事例を参照する(Simpson, 2015)。そこから明らかとなった設計指針として「中速」というコンセプトを中心とした都市の在り方を展望する。
1.モビリティーズ・スタディーズから見る自動車システム本章ではモビリティーズ・スタディーズの視座を紹介するなかで、19世紀末の産業革命に端を発する現代都市文明が、いかにして人間とモノと情報の移動を秩序立ててきたかを概観する。主要なテキストとして『モビリティーズ』(アーリ、前掲書)における第二部「移動とコミュニケーション」および第13章「システムと暗い未来」を見ながら、現代の都市を特徴づけている自動車という移動システムを分析する。とはいえ第二部の構成は歩行(同; 第4章)、鉄道(同; 第5章)、自動車(同; 第6章)、飛行機(同; 第7章)、情報通信端末(同; 第8章)についてそれぞれ論じるというものであり、自動車はそれらとの比較のなかで分析されている。
 そのためここではアーリの議論に沿うかたちで『モビリティーズ』第二部をスケッチし、歩行という身体的な移動がいかにして鉄道や自動車に置き換えられ、機械化されていくかを見ていく。そこで示される移動の機械化という現象は、二つの仕方で人間の生活環境を変容させている。一方では国際空港という空間のデザインが都市へと逆輸入される(移動機械の都市への組み込み)ということである。他方で、情報通信端末のかたちで移動機械が身体に接近していく(移動機械の身体への組み込み)という仕方でも展開していく。
 はじめに全般的な見取り図を提示しておくと、モビリティーズ・スタディーズから見た都市論はさまざまな移動の様態によって結線され、再編される時空間の問題として捉えられる[Fig.01]。このように第二部の議論を要約するなかで移動の機械化に着目しながら、今日のグローバル秩序の中心に位置する自動車システムを相対化するための理論的な準備を行なうことが本章の目的である。
Print1-1.戦術としての歩行
歩くことは距離を克服するもっともありふれた手段である。以降で検討する機械化された移動手段にとって、徒歩の移動はその土台を成している。とはいえ、そのことは歩行が完全に身体的な経験だけであることを意味しない。歩くことについて自然と言えるものはなにもない(Ingold, 2004)。なぜなら、自動車が舗装路を必要とするのと同じように、歩行もまた歩道や標識、休憩所、小径、靴、地図、ウィンドブレーカー、ウォークマンなどといった「ありふれたテクノロジー(Mundane Technology)(アーリ、前掲書; 128)と相互依存しあう関係にあるからだ。
 ありふれたテクノロジーとしての都市という観点から、アーリは19世紀中葉のオスマンによるパリ大改造に触れている。ペストの流行を背景とした衛生環境の向上を目指し、スラム・クリアランスとジェントリフィケーションを大々的に敢行したこの計画(北山、1991)によって「パリに取り憑かれるようになった人びとは、舗装された新たな大通りを歩き、明るく照らされたアーケード、店、デパート、カフェを横目にしながら、さらになかに入って消費することができるようになった」(アーリ、前掲書; 103)。オスマンによって建造された目抜き通りは、消費のスペクタクルを喚起するメディアとして都市をつくり変え、歩行者を徒歩へと駆り立てた。
 このように近代的な都市デザインを通じて歩行の経験が消費行動へと組織化されていく状況を受けて、ギー・ドゥボールおよびシチュアシオニストとミシェル・ド・セルトーは歩くことを抵抗とみなす考え方を押し進めた(同; 109)。シチュアシオニストらは歩行のよりラディカルな実践としての「漂流」を偶然的な出会いの契機と捉え、規則化されパターン化された「相も変わらぬ日常的な移動」に対置した。ド・セルトーの理論はこのことと響き合う。彼は「政治的、経済的、科学的な合理性」(ド・セルトー、1987; 25)に応じた規則化や規格化──本節の文脈ではテクノクラート的なオスマニゼーションの都市計画もこれに属する──を伴う力関係を「戦略」と呼ぶ。それに対して歩行の「戦術」は都市における偶発事を巧みに掴みとることによって成り立つ(アーリ、前掲書; 110)。それは即興的で予測不可能な実践であり、生きられた空間を構成する*01
 これら歩行を抵抗の身ぶりとして捉え直す理論家/実践者たちの主張をまとめると、次のようになる。すなわち、地図の鳥瞰によるのではなく、歩くことによる都市空間の知覚・認識である。言い換えれば「足に対する頭」の全般的な支配を疑うことで、生きられた(カイロス)時間*02と空間を得るのだ。しかし次節で見るように、生きられた時空間は鉄道という移動機械の発展に伴って徐々に放逐されていく(同; 148)
1-2.「公共」鉄道──移動の機械化の始まり
本節では鉄道が結びつけている社会的営為に関するアーリの分析を見ていく。鉄道は移動の機械化における最初の画期であるとされる(同; 140)。その理由はひとつには時刻表による時間管理体制の誕生であり、もうひとつには場所の性格の変容という空間効果である。
 まず前節で検討した歩行との関係から考えると、歩行がカイロス時間を構成するのに対して、鉄道はその対極に位置するクロック・タイムを構成している。それに寄与するのは、鉄道が運行するために不可欠な時刻表という客観的な取り決め*03の存在である。時刻表の誕生によって、人々は「定刻通りの列車」に同期するようになった。それは事前的な──ド・セルトーに従えば「戦略」的な──旅の計画を可能にし、「いつ駅に着けばよいのか、いつ出迎えを呼べばよいのか、どの程度の〔所要時間の──引用者註〕長さになるのかを知らせてくれる」(同; 147)
 このようにして距離という単位は時間という単位へと置き換えられていく。「ここから数時間の距離です」というような私たちが日常的に利用する尺度にも、その心性は表われている。そうした心性と協調するように、新たなテクノロジーやインフラ──鉄道から電車へ、新幹線へ、リニアモーターカーへの進化──は、無駄な時間を最小化する方向に働く(同; 149)*04。そこで前提されているのは、時間というものが通貨のような「資源」として扱われるべきものであるという考え方だ。「活動や意味としての時間ではなく、管理される資源としての時間への志向。数理的に正確で量的な尺度としての時間」(同; 149)として、生きられた時間は希釈されていく。
 次に、鉄道による空間効果に目を向けたい。線路によって異なる場所同士が連結されるなかで、鉄道は「場所を関係的なものにしており、別の場所からの途上にある場所や、別の場所への途上にある場所にしたり、鑑賞ないし消費の価値に基づき、別の場所よりもよい場所や悪い場所にしたりしている」(同; 152)。鉄道の車窓から眺められるパノラマ的知覚*05は、種を蒔かれたり耕されたりする手触りを伴う「土地」を切り詰め、インスタントな「景観」として再編する(同; 153-154)
 鉄道によって時間が消費の対象として希薄化したように、場所もまた消費されるものとなった。移動の機械化は、歩行の経験とは著しく異なる経験をもたらしたのだ。
1-3.自動車システムの自己組織化
20世紀の自動車の登場によって、鉄道的な時空間は再編されることとなった。一方ではクロック・タイムからの離脱が可能となり、非同期的なプライベート・タイムに応じた移動をもたらす(同; 163)。他方で自動車は、駅舎のように点から点への移動ではなく、継ぎ目のない空間移動を可能にした(同; 178)。どちらの特徴もフレキシビリティという観点から理解することができる。
 このようなフレキシビリティは、しかし強いられたものでもある(同; 179)。自動車はさまざまな技術的/社会的な制度や産業、関連業務と協調して働くシステムと一体を成しており、自動車に最適化された生活様式を拡大しながら自己組織化していくからである。そのように再帰的なシステムとしての自動車について、アーリは七つの要素を挙げて分析している*06が、本稿の文脈上とりわけ重要なのは、その都市論的な影響である。「自動車と相互連環の関係にあるのが、免許交付機関、交通警察、ガソリンの精製と流通、道路の敷設と維持、ホテル、沿道のサービスエリア、モーテル、自動車の販売・修理であり[Dant, Bowles 2003──原文出典]、郊外や田園地帯の住宅造成地、複合商業施設、広告やマーケティング、そして、途切れなき移動を約束する都市デザインや都市計画などである」(同; 173)
 こうした自動車による都市環境の変容は、より広範なグローバリゼーションの秩序にも影響を与えている。地球的な資源である石油の消費やオイルマネーの経済的な影響、二酸化炭素排出に伴う環境汚染、アメリカによる中東戦争など、それらすべてが自動車システムによってもたらされた問題である(同; 193-198)
1-4.都市と身体への移動機械の組み込み
本節では自動車システムのさらなる展開として飛行機と情報通信端末を捉える視座を提供する。
 まず、飛行機が構成する時間は世界時(ユニバーサル・タイム)であるとされる。世界時がもたらすのは地球規模での人間/情報/モノの移動に関する同期であり、定刻通りのフライトを成り立たせるためにそれは必要なことである(同; 208)。つまり、鉄道や自動車と比べて、国際線の運行には膨大な種類のサービスフローと人員配置が介在するため、全般的なフローの同期が必要となる。例えば「飛行機とクルーが地上で非生産的な状態にある時間を最小限にするために、相互に関連する多くのイベントがシンクロされなければならなくなっている」(同; 210)
 次に、国際線が構成する空間について見ると、世界中どこであっても標準化されたサービスフローを円滑にするため、極めて無個性的(ジェネリック)な空港が立ち現われることとなる(同; 217)。それは世界言語としての英語の案内表示や免税店、航空移動を最適化するための空間レイアウトおよび動線設計から成る似通った風景である。同時にジェネリックな空港空間は、9.11のテロを契機として急速に高まった安全管理意識を背景に、都市の空港化というかたちで世界中に(逆)輸入されている。バイオメトリクスやCCTV(監視カメラ)といった監視装置のみならず、滑らかな複合輸送の交通接続に関する成果が都市へと反映されている(同; 221)*07。そのように空港空間が現代のグローバル秩序の中心を成しているのだという。
 別の側面から自動車との類縁性を持つ移動機械は、インターネットと携帯電話である。コミュニケーションが次第に地理的制約から解放されるなかで再編される時空間は──自動車を特徴づける非同期的なフレキシビリティと親しく──、移動中の調整を前提としたインフォーマル性によって特徴づけられる。具体的には、事前に示し合わせずにスケジュールを調整したり、移動中に会合の約束を取り付けたりするといった動きながら(オン・ザ・ムーブ)の社交について言及されている(同; 255-257)。これは「時間厳守」を重んじる公的なクロック・タイムの対極に位置づけられる時間感覚である。同時に、移動しながらの社交は電子メールやSMSといったテレ・プレゼンスを前提とすることで、家庭生活や職業生活の合間に位置する中間空間を構成する(同; 263)
 以上のインフォーマルな時空間は、移動機械の小型化とポータビリティに支えられている。「機械は、身に宿され、動いている時にはじめて機能する。そうした機械を用いることは、事実上、身体を介して機械のなかに組み込まれることである」(同; 268-269)
1-5.小括──「加速のディストピア」としての未来都市
本章では今日の世界を取りまくグローバル秩序の中心に自動車が存在し、その展開として空港空間の都市への組み込みおよびテレ・プレゼンス前提の中間空間の身体への組み込みが生じていることを確認してきた。アーリの第二部に対する次のような総括からも、そのことは窺える。「鉄道と懐中時計が初期近代の双対であったのに対して、後期近代の双対をなすのは携帯電話と自動車である。後期近代は、社会的ネットワークが分散し、調整と旅行が社会生活に必要となる時代なのである」(同; 259)。それでは、この延長上にはどのような未来が待ち受けているだろうか。
 第13章「システムと暗い未来」(同; 第13章)でアーリは第二部における分析を踏まえた移動の未来を展望している。そこで示される未来像は──石油の枯渇および地球の高熱化というシナリオを前提として──荒涼とした地球で人間は文明を捨て、「地域軍閥支配」に伴うホッブズ流の闘争状態を生きるというものだ。それを回避するのであれば、より効率的なトラフィックの管理やエネルギーの監視を目的に、自動車が情報通信端末のようなかたちで相互に通信を行なう仕組みが必要となる。ただし、そうした恩恵と引き換えに「デジタル・パノプティコン」(全般的な管理社会を意味する)の到来をもたらすことにもなる(同; 422)。アーリによる移動の未来は、いずれにせよディストピア的なものとして構想されている。
 鉄道の誕生に始まった移動の機械化は、その未来として完全なる効率性と平滑性を求めつつある。移動性から見た都市論の探究という本章の結論を、ひとまず「加速のディストピア」と定式化して小括とする。
2.中世都市鎌倉のスタディ鎌倉市は高齢社会における問題の縮図を体現している。まず人口比率を見ると、平成26(2014)年度においては全国的な高齢化率26.0%(内閣府、2015)に対して29.6%(鎌倉市、2015)と大きく上回っている。超高齢社会であると同時に、総人口を見ても平成24(2012)年度の174,186人から平成44(2032)年には160,570人へと徐々に減少していくと推計されており(鎌倉市、2012)、縮小社会のモデルケースとしても理解できる。
 そして観光地としての認知度の高い同市の都市部においては「観光公害」として理解される交通渋滞がとりわけ顕著であり(高橋・久保田、2004)、高齢者にとっては生活の「足」である自動車が利用しにくい状況となっている。
 都市史から見る現在の鎌倉市は、中世鎌倉時代における二つのマスタープランの上に築かれている。次節では源頼朝とそれを継いだ北条泰時という二人の為政者がどのようなマスタープランでもって都市を計画したかについてまとめる。前者は主に険しい自然を背景とした軍事都市として、後者は水運を中心とする港湾都市として、鎌倉をそれぞれつくり上げた。
2-1.源頼朝と北条泰時による二つのマスタープラン
まず、頼朝治世の鎌倉は軍事都市として特徴づけることができる。源頼朝が、山と海に囲まれた天然の要害として鎌倉を評価し入部したことは中世都市研究においては通説となっている。天然の要害に守られつつ、極楽寺坂切通、大仏切通、化粧坂切通、亀ヶ谷坂切通、巨袋呂坂切通、朝比奈切通、名越切通という七つの切り通しによってのみ外部と連結されるコンパクトシティは、平氏との合戦において軍事的な利点を源氏の側にもたらした。
 兵站と物流に関して、一方の山側は朝比奈切り通し経由で金沢(横浜市)の港に至り、他方の海側は極楽寺切り通しおよび逗子方面に抜ける名越切り通しによって旧東海道に至る。このように並行した二本の幹線道路から成る水平の軸線を、頼朝は整備した(石井、1994; 237)。両者と垂直に直交するのが鶴岡八幡宮を戴く若宮大路[Fig.02]であり、極めて合理的なマスタープランによって計画されていたことが窺える。
 これに対して、北条泰時治世の鎌倉は港湾都市として特徴づけることができる。頼朝から50年後に、泰時は幕府を若宮大路沿いに移築し(同; 243)、政治的中心が都市の中心部へ移動する。これに伴い、二の鳥居以北の若宮大路沿いには武家屋敷が並ぶことになる[Fig.03]
 泰時治世の都市計画上の画期は、『御成敗式目』制定と同年の1232年に材木座海岸に築港された和賀江島である。この計画は鎌倉の海が遠浅であり船舶の進入が阻まれることから、海上の埋め立て港を必要としたことに由来する(斉木、1994; 111)。材木座というロケーションについては、その名の通り木材を扱う商工地域であったため、滑り川に浮かべた小舟を通じて重たい木材を和賀江島に運ぶというプランであった。そこから外の地域へと木材が輸出された。二の鳥居以南には海に向かって扇状に、粗末なバラックや町家の遺構が広がっている(大三輪、1994; 118-129)ことから、商工業者や下層の民たちの住居だったのだろうと想定されている(石井、前掲書; 248-251)
 このように北条泰時のマスタープランの要諦は、平行に海岸へ伸びる若宮大路/滑り川から和賀江島に至るまでの垂直の軸線から成る港湾都市化であった。
mm_paper_fig2mm_paper_fig32-2.港湾機能がもたらした栄華と衰退
泰時による港湾都市計画は、一方では水運を通じた都市の繁栄をもたらし、泰時治世は鎌倉時代の最盛期に位置づけられるほどであった(同; 244)。他方で皮肉なことに、その後の都市鎌倉が衰退する一因もまた、港湾機能の拠点であった和賀江島に端を発するものであった。ここでは中世都市鎌倉の衰退に至るまでの経緯を追うべく、和賀江島を中心に港湾都市としての鎌倉についてまとめる。
 中世都市研究においては、鎌倉への物資流入に占める水運の役割の高さは定説となっているものの、しかし実際にどの港が拠点的な機能を果たしたかについては諸説ある。鎌倉沿岸部の由比ヶ浜を積極的に評価する立場と、鎌倉の東隣に位置する六浦を評価する立場に分かれているが、両者とも考古学的/文献史学的な根拠を持つ。
 斎藤直子「中世前期鎌倉の海岸線と港湾機能」(斎藤、1995)は両者の説を比較すべく、鎌倉時代の由比ヶ浜の景観を復原している。現代の等高線を見ると、由比ヶ浜にほど近い材木座地域の一部には海抜4メートル未満の低地が広がる。ところが、海側に近づくにつれて再び上昇し、沿岸部は海抜10メートル程度の砂丘となる[Fig.04]。低地の地層を見ると、水面下で堆積した湿地帯の跡が読み取れる。このことから、その一帯は鎌倉期には砂丘に囲まれた水域を擁し、ラグーンが形成されていたという説を斎藤は唱えている。つまり、現在の海岸線は中世のものとは異なるというのだ。寺社の多い鎌倉にあって現在でもその一帯には寺院や神社が見られないということも、この説を補強する要因となっている。
 以上より斎藤は、天然の防波堤たる砂丘に囲まれた良港として由比ヶ浜を積極的に評価する。この説を前提とした当時の水運状況は、港湾からラグーンを通じ輸入品を集めたのち、川の上流に位置する為政者らの居館や邸宅へと小舟で運ばれていったというものである。幕府指定の商業地域は綺麗にこの水運経路に符合するかたちで分布している[Fig.05, 06]
 当時の鎌倉がこのような港湾都市であったことは認めるとして、これを可能にした海岸線の変化はどのようにして生じたのだろうか。言い換えれば、どのようにして天然の良港としての機能は由比ヶ浜から失われていったのだろうか。弥生時代の地形を踏まえても、鎌倉期に入るまでの海岸線は変化なく、安定したものであったという。このことから、砂の堆積による海岸線の変化(砂丘の形成)は、地震や海退といった自然要因よりも人工的な要因によるものであると考えられる。
 それほど巨大かつ大規模な鎌倉期の人工建造物、それは泰時治世に築港された和賀江島である。海洋研究における沿岸漂砂の移動を参照しながら[Fig.07]、「あたかも由比ヶ浜沿いに西から東へと運ばれた漂砂を和賀江島がせき止め、その付近から順次西側へと漂砂が堆積していったように読み取れるのである」と、斎藤は結論づける(同; 268)。このようにして砂の堆積と砂丘の形成が進んだ結果、ラグーンは湿地と化し、やがて明治期に埋め立てられた。
 時系列としては鎌倉の都市的な性格が衰退を始めるのは永享の乱(1438)以降のことであり、和賀江島築港は先述の通り1232年である。この二百年のあいだに土砂の堆積と砂丘の形成が進んだと考えれば、それは港湾都市としての栄華から──それを担った和賀江島によって着々と生じた海岸線の変化に伴う──港湾機能の低下に至る過程として理解することができる。都市生活が地方からの物資流入に依存することを踏まえると、港湾機能の低下はクリティカルな問題である。そのため、鎌倉の水運上の拠点は徐々に六浦へと移っていったのではないか。そのように考えれば、本節冒頭に紹介した由比ヶ浜積極論と六浦積極論は時代的な変遷として架橋される。
mm_paper_fig4mm_paper_fig5mm_paper_fig6mm_paper_fig72-3.小括
本章では鎌倉の都市史に関するスタディを紹介した。軍事都市から港湾都市へと至り、そして衰退していくまでの流れを追うなかで、水運という機能が失われていったことが確認された。このように歴史的な変遷のなかで埋もれていったインフラとして鎌倉の水運機能を捉えることで、新たなモビリティを導入するヒントが得られた。今後来たるべき海面上昇*08を踏まえて低層地の(再度の)水没というシナリオを予測すれば、再び鎌倉が豊かな港湾都市として再発見される未来を見据えることができる。以上の大局的な見取り図のなかで高齢者の移動性に合致した都市マスタープランを開発することが、本研究の今後の作業となる。
3.結論に代えて──ゴルフカートが示唆する中速の都市本稿では、超高齢社会における未来の都市マスタープランを提案するうえで「移動性(モビリティ)」に着目することの重要性を前提としながら、モビリティーズ・スタディーズにおける都市論的な文脈を読み解いてきた。その結果、現在のような自動車中心のグローバル秩序の延長上には効率性と平滑性に最適化した「加速のディストピア」が控えていることが明らかとなった。しかしながら、未来の問題としての超高齢社会における身体的な制約や生活リズムといった観点を踏まえると、都市計画の中核に加速が位置を占めることはありそうもない。したがって本研究では、都市マスタープランの開発においてアーリの議論をそのまま援用することはせず、移動性に着目しつつもオルタナティブな速度を中心に据える必要があることが明らかになった。そのヒントを探るべく、本章では結論に代えて速度の観点から移動性と都市デザインについて再考する。
 まずアーリの未来シナリオ(本稿1-5)は、自動車システムがもたらした速度のロジックを前提としているがゆえに陥るディストピアであると考えられる。これに対して「減速すること(”To slow”)」の価値を通じてオルタナティブな未来像を構想することはできないだろうか。「遅さと減速(Slowness and Deceleration)」と題された論考のなかで、Phillip Vanniniは「減速することとは、速度のロジックを中心として築かれ徐々に普及した体制からの減速を意味する」と位置づけつつ、デヴィッド・ハーヴェイによる「時空間の圧縮」やポール・ヴィリリオによる速度へのフェティシズムを相対化しようと試みている(Vannini, op.cit.)。ここでは具体的な減速の実践として「Off-gridder」(近代的な電力インフラに頼らずヒッピー的な生活を送る脱グリッド主義者たち)やスローフード・ムーブメントといった事例が挙げられている。脱グリッド主義者たちは「機械複合体(Machine complex)」から脱却し自給自足を営む存在として捉えられており、ここにアーリの未来像に対する批判──スマート「グリッド」の支配からの脱却──への糸口を読み取ることは容易だろう。
 とはいえVannini自身が留保するように、こういった活動には「遅さ」の下限がない。彼らが批判の矛先とする近代生活のすべてが「速い」ものと見なされている点は問題である(Vannini, op.cit.)。比較対象すべてを速いものとして退け、文明社会から逃避し森に引きこもることは退行にほかならない。したがって、自己目的化(fetishizing)していない減速の方法を構想する必要がある。
 フェティッシュとしてではなく、具体的な必要性に迫られた減速の事例は、フロリダ州のThe Villagesという高齢者コミュニティにおいて自動車の代替として利用されるゴルフカートという移動手段に見ることができる(Simpson, 2015)。これは視力の低下などといった身体的制約を背景として免許証の不要なゴルフカートが便利であったことが普及の誘引となっているが、その結果ゴルフカート専用レーンを中心とした都市計画が行なわれるほど広範に利用されている。
 このような──減速主義にもスピード主義にも与さない──「中速」というコンセプトは、アーリのディストピア的なシナリオを回避するオルタナティブとして捉えられるのではないだろうか。さらに、世界的な趨勢として直面しつつある少子高齢化および縮小社会という未来を前提とすると、既存の自動車の速度ではなく中速というビジョンこそが必要なものとなってくるのではないだろうか。
 とはいえここですぐさま鎌倉にゴルフカートを導入するという結論に至ることは避けねばならない。なぜなら、第一にThe Villagesと鎌倉との空間的なスケールに違いがあるためである。この地はアメリカ国内で最大規模の開発物件であり、また世界的にも最大の退職者コミュニティであるIbid., 195)。第二に、アメリカと日本の文化的なコンテクストに関する差異が挙げられる。The Villagesにおいてはアメリカ的なDIY精神や自家用車へのフェティッシュがゴルフカートにまで及び、ゴルフカートは所有者のファーストネームやペットの名前、贔屓の野球チームのデカールなどによってパーソナライズされているIbid., 223)。そのため、本研究では鎌倉のスケールに適し、また文化的なコンテクストにも適合した中速の移動手段を採り入れていくことが設計指針となる。
引用文献アーリ, J.『モビリティーズ──移動の社会学』吉原直樹・伊藤嘉高=訳、作品社、2015
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