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レビュー対象=「ベン・シャーンとジョルジュ・ルオー」展石井雅巳=レヴィナスとベイスターズを愛す。初出=Rhetorica #03(URL)ほかのレビューも読む(URL)
レビュー対象=「ベン・シャーンとジョルジュ・ルオー」展石井雅巳=レヴィナスとベイスターズを愛す。初出=Rhetorica #03(URL)ほかのレビューも読む(URL)
会期=2014年7月5日-2014年9月15日/会場=神奈川県立近代美術館 鎌倉別館
二〇一四年夏、神奈川県立近代美術館鎌倉別館にて「ベン・シャーンとジョルジュ・ルオー」展*01を観た。ベン・シャーン(1898-1969)はユダヤ人の両親のもと、リトアニアのカウナスに生まれた。静謐な青の使い方、そして石版画工房での修行で培った独特のカリグラフィーや描線に、この画家のひとまずの特徴を見出すことができるかもしれない。しかし、それ以上にベン・シャーンを特徴づけるのは、不正や暴力に対し絵でもって戦い続けたその姿勢だろう。シャーンは、サッコ・ヴァンゼッティ事件や第五福竜丸事件など、多くの社会・国際問題を題材に選んだ。
私がシャーンの絵を観た奇しくも同年、彼の生涯を丹念に追った著作が出版された(永田浩三『ベン・シャーンを追いかけて』大月書店、二〇一四年)。出生地であるカウナスを訪れるところからはじまり、修行時代を過ごしたヨーロッパや、活躍の地であるアメリカを著者が実際に旅してゆく。作品図版や写真も多く、彼の人生と作品との繋がりを理解するのに大いに役立った。
カウナスは、ヨーロッパにおけるユダヤ教の学問・文化の一大拠点であり、ユダヤ人哲学者エマニュエル・レヴィナスもまた、この土地の影響を強く受けている。シャーンと同郷の人である──とはいえシャーン一家はレヴィナスが生まれた一九〇六年に渡米しているが──レヴィナスの生涯を知るのにうってつけの伝記が今年邦訳された(サロモン・マルカ『評伝レヴィナス』斎藤慶典ほか訳、慶應義塾大学出版会、二〇一六年)。戦争と革命の世紀にあって、帝政ロシアやナチスドイツによる圧政・虐殺に直面し、己に否応なく刻印されたユダヤ性をいかに考えるかは、シャーンとレヴィナスの両者において無関心ならざる問いであった。
もちろん、「ヨーロッパのなかのユダヤ」あるいは「アテネとエルサレム」という問題は、前世紀に特有のものではなく、ディアスポラ以来、優に千年以上の歴史をもつ。なかでもとりわけドイツにおけるユダヤ思想の水脈を掘り起こしてみせる労作が昨年公刊された(佐藤貴史『ドイツ・ユダヤ思想の光芒』岩波書店、二〇一五年)。この主題に関してはすでにユリウス・グットマンによる浩瀚な著作があるが(『ユダヤ哲学』、邦訳二〇〇〇年)、その後の論争も踏まえて執筆された本書の出版を言祝ぎたい。
シャーンの作品のなかで筆者が特段感銘を受けたものがある。一九四三年にワルシャワで起きた対独ユダヤ人レジスタンスによる蜂起を題材とした《ワルシャワ、1943》である──当時ワルシャワにいた多くのユダヤ人はトレブリンカ絶滅収容所へと送られたが、この収容所から生還した筆者による壮絶な体験記が昨年翻訳された(サムエル・ヴィレンベルク『トレブリンカ叛乱』近藤康子訳、みすず書房、二〇一五年)。シャーン独特とも言えるゴツゴツとした線で描かれたこの絵の下部には、贖罪日[ヨム・キプール]にとなえられる礼拝の言葉がヘブライ語でしるされている。肩や胴から判断して男性だろうか。ある一人の人間が肘を付き、頭を抱えている。その拳は固く、強く、握られている。拳の向こうにあるはずの顔は見えない。しかし我々は悲しみに嘆く苦悶の顔を、あるいは怒りに震えた憤怒の顔を想像するのは難くないだろう。
21世紀の今日、シャーンが直面し抵抗の声をあげた不正はいまなお克服されたとは言えまい。シャーンの代表作にドレフュス事件を描いたシリーズがあるが、ゾラの如き目線を持ったこの画家は、どこかベンヤミンの歴史の天使にも似ている──「歴史の天使は顔を過去のほうへと向けている。わたしたちの眼には出来事の連鎖と見えるところに、かれはただひとつの破局を見ている。」──この度、このベンヤミンの有名な遺稿の新訳が出版された。新全集の成果を元に各種草稿を比較検討した本訳は決定版とも言うべきものであろう(ヴァルター・ベンヤミン『[新訳・評注]歴史の概念について』鹿島徹訳・評注、未來社、二〇一五年)。