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towatakaya=contemporary artist/東京都在住ほかのレビューも読む(URL)
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5年間の英国留学を終えて東京に戻ると、街はすっかり変わっていた。渋谷の東横線のホームは地下化され、TSUTAYAのWIRED CAFEの喫煙席は無くなり、ヒカリエが聳え立っていた。留学中に、出身はどこなの?と言われるたびにTOKYOだと答えてきた私は、帰国後その変容ぶりに衝撃を受けた。
私にとってのTOKYOとは、ほとんど渋谷のスクランブル交差点のことだ。私は幼少期から留学まで、渋谷区で生まれ過ごし、いわばあの交差点を中心に育った。カメラやスケッチブックを持って外に出ては何かを見つけてまた家に帰る、そんな日々を過ごして来た。私にとってスクランブル交差点が象徴する東京の街は、描きたくなる興味深い対象であると同時に、自分の身体と深く結びついた棲家、もっと言えば故郷のような場所だった。都市と生きるというのは本当に不思議なことで、歩けば歩くほど、身体には街を行き交う多くの人々のリズムが染み付いていく。大げさに言えば、スクランブル交差点を歩くスピードが私の生きてきた速さであり、絵を描くリズムも内的感覚も、あの交差点と呼応しているように思えていた。
だからこそ、帰国してすぐに感じた街のリズムの変化に最初は戸惑いが隠せなかった。久しぶりに立ったスクランブル交差点には、聞き慣れない日本語も含めた様々な国の言語が飛び交っていた。それらを照らす街の光も眩く、点滅するスクリーンに若干眩暈を覚えるほどだった。もうJ-POPは鳴っていなかった。東京という、生まれ育ったはずの街とのチューニングがずれてしまっていた私は、母国で腰を落ち着けて制作に専念しようと考えて帰国したにもかかわらず、すっかりスランプに陥っていた。アーティストとして生きてゆかんとする自分が始まったはずのまさにその街で絵が描けなくなってしまった、ということへの大きな焦りが私を飲み込んだ。もがけばもがくほど、自身の身体感覚と近いところにあった渋谷の街から、自分が遠ざかっていくようだった。こんなにも近くにあるのに、生まれ育った場所に戻れない、そんな奇妙な感覚がしばらく続いた。
結果的にこのスランプは、私自身に起きていた変化に気づくきっかけとなった。体に染み付いていた街のリズムや行き交う他者の様相、それに反応することで形成されていたであろう当時の私自身の内省は、しばらくの時を経ていつしかすっかりと消えていた。そして渋谷という街の持つ動的な何かと対話することによって描いていた当時の作品づくりの態度も、「長い時間をかけて興味対象を静かに覗くように観察し、対象と寄り添うように時間を過ごしたのち、手を動かす」というスタンスへと変化していた。それは帰国しなければ気づかなかったであろう、描き手としての自分の変化だった。
ロンドン時代と変わらない日常的なルーティンをこなしていくことで、私は次第に落ち着いていった。スタジオに通い、音楽をかけ、日々を通して印象的だと思った事を書きとめた文章や散文、あるいは撮りためた写真やネット上から拾ってきたイメージに囲まれながら、思考を繰り返し制作する。時にいやになり、休息してはまたキャンバスへ向かう。結局、どこを拠点にしても様々なマテリアルに囲まれてスタジオに篭る生活は変わらないのだろうけれど、それでも、白い壁に囲まれたその空間から一歩外に出た時に自分が何処に立っているのかというのは、自分を構成する重要な要素の一つだと思う。
ミスチューニングが落ち着くと、渋谷の街と私の間には何となく距離が出来た。スクランブル交差点を歩きながら、ふとした瞬間に以前身体の奥で響いていたそのリズムと当時の自分を思い出す時もあるが、結局一度消化されたものは、もう私の内省の奥で響かない。少し悲しいが、時間の経過というのはそういう形で認識されていくのだと思う。あの交差点を渡るとき、思い出す事さえできないような遠い昔の自分と当時の街の気配とが脳裏に呼び起こされはっきりと像を結んでしまう前に、私は歩む速度を上げる。私はそこを、足早に渡りきるのだ。