[thesis] ”Beyond Alexander”

ドグマとしてのアレグザンダーを超えて──設計方法論の臨界と転回

DESCRIPTION

本稿は以後不定期に連載される一連のテキスト群の初弾であると同時に「新しい設計の哲学」の構築に向けたマニフェストでもある。著者:中村健太郎(@Kentaro5a18)

KEYWORDS

設計方法論
デザインリサーチ
クリストファー・アレグザンダー
藤村龍至
連勇太朗

01

『都市はツリーではない』(1965)、『オレゴン大学の実践』(1975)、『パタン・ランゲージ』(1977)、『時を超えた建築の道』(1979)などがある。ところで本論では『ネイチャー・オブ・オーダー』(2002–)以降のアレグザンダーの著作を対象としない。

03

江渡(2011)

04

より詳細な説明は、拙稿「設計プロセスの理論的系譜(仮)」参照(3月以降公開予定)

05

Jones&Thornley(1962)による「The Conference on Systematic and Intuitive Methods in Engineering, Industrial Design, Architecture and Communications」を参照のこと。

06

Buchanan(1992)

07

アレグザンダー読者に向けてパラフレーズすると本論の目的は、アレグザンダーの思考の軌跡を前期のノートから中期のパタン・ランゲージへの移行として理解する見方に反し、むしろ前期と中期の連続性を強調することにあると言える。

08

「アレグザンダーがこの方法で作り出したダイヤグラムは、これまで誰も成しえなかったものである。それは抽象的なものではあったが、目新しい印象を与えた。一見ユニークに見えるが、理論を正確に反映している。チャールズ・ジェンクスは次のように述べている。『この本の成果には、まったく目を見張るものがある。最終的形態がすべてのクライテリアに反映しているだけでなく、そのクライテリアがありきたりなものでなく、その形態も純粋で力強く、素直で当を得たものなのである。正確で非常に明快なパラメータに対する純粋な反応でもあるのだ』」(グラボー、1983=1989、p.58)

09

ここで「探索」と述べたのは、ノートの方法が数理的には、コンテクストの構造に対する再帰的なアルゴリズムの適用という形をとるからだ。

Fig.01

左図:アレグザンダー(1964=1978)/右図:FAMASAKI.COM(2011)

10

結節点。ネットワークや木構造など、複数の要素が結びついてできた構造体において、個々の要素のことをこのように言う。

11

この発見が設計方法論研究において有する射程は長大である。上記の意味において、アレグザンダーの二つの実践は、先に述べた設計方法論研究における二つのアプローチの反目を無効化する特異点とみなしうる。60年代の形式論的な設計方法論と70年代の意味論的な設計方法論は、コインの裏表の様な関係のもとにある。

12

本節は江渡(2009)の研究を下敷きにしている。より詳細な経緯については、これを参照されたい。

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GoF(God of Four : E.ガンマ、R.ヘルム、R.ジョンソン、J.プリシディーズの四人組を指す)による『オブジェクト指向における再利用のためのデザインパターン』(1995)はその代表的なものであり、他にもF.ブッシュマンらのPoSAによる「アーキテクチャパターン」、M.フォーラーによる「アナリシスパターン」といった成果がもたらされた(江渡、2009)。

14

その後、95年にはカニンガムによる「エピソーズ:競争力のある開発のパターン言語」が類似のコンセプトをもつパターン・ランゲージとして提案された(江渡、2009)。

15

例えば二人一組で開発を行う“ペア・プログラミング”や、開発サイクルを三週間程度の”短い期間で反復する”ことなど。

16

実際には現在のハイパーリンクの機能を当時の技術で擬似的に実現したものであった(江渡、2009)。

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この時点ではまだインターネットが存在しなかったため、情報の共有はデータの全体が記録されたフロッピーディスクを仲間内で手渡しするという方法によって行われた(江渡、2009)。

18

ユーザーはプロジェクトに併せて選び出したパタンの集合に、オリジナルのパタンを付け足すことや、すでにあるパタンの内容を改変することは認められている。しかしながら既に確定したパタン同士の関係性を更新することは認められていない(アレグザンダー、1977=1984、xxi)。

19

Wikiの実装例として代表的なWikipediaにおいては、例えばJohnDoeという新しいコンテンツを生成する際に、かならず既存のコンテンツ──映画『セブン』(1995)の項など──の中で、そのタイトル(JohnDoe)が記入されていなければならない。この時、互いがリンクの張られた状態で自動生成される。すなわち、Wikiにおいて他の要素と関係性を持たない要素は基本的に成立しえないのである。この機能は、技術的にはその記述様式から名をとって「キャメルケース」と呼ばれている。

20

方法論のみを主題とした議論は拙稿「ケーススタディーズ:超線形設計プロセス論・モクチンレシピの射程と限界(仮)」(3月以降公開予定)を参照のこと。

22

「過去へと遡行することで集合知や集合的無意識を扱おうとしたパタン・ランゲージと違い、モクチンレシピは関係する現在の状況と対話しながら発展していくデータベースである。ユーザーの動向がサービスに反映されるということはA/Bテストのように一般的なウェブサービスの現場ですでに実践されていることかもしれないが、モクチンレシピはただ単にインターフェースの改良が行なわれるだけではなく、それに付随してコンテンツそのものが(インターフェースを媒介にして)実環境とのあいだでフィードバックシステムを形成することに特徴がある」(連、2015)。

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「モクチンレシピが使われる場面もさまざまで、原状回復時にちょっとだけ使われる場合もあれば、一部屋全体の改修で使われるときもあり、一軒まるごとモクチンレシピで改修する場合もある。ここで重要なのは、改修規模の違いによって、改修案の作成プロセスやプロジェクトに対する意識の違いがほとんどないということである。基本的には、どのプロジェクトもモクチンレシピという局所的な改修アイディアを選択し組み合わせるという点において違いはなく、この認識を拡大させていくと家具から都市までシームレスに思考することができる」(連、2014)。

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ノートにおける「可能な不適合の選言」というアイデアはアレグザンダーの立論の中でも最も卓抜なもののひとつである(アレグザンダー、1964=1978、p.19)が、その着想自体は彼の最も初期の論文から見られ、なおかつ独自に為された美学の定義であった。「『美とは何か』という本は完全な失敗作でした。ハーバードにもっていってもそこでも不評をかったのですが、その批評はまさに的を得たものでした。この本の論点は、美が何かの存在によるものではなく、何かの不在によるものだということでした。何かが美しくないと感じるのは、どこかが間違っていて、それに対して腹立たしい思いをするからだという主張です。しかしその『何か』がどこにも存在しない以上、この議論は先には進みません。まったく幼稚な論文でしたが、長い論文をまとめるいい経験にはなりました」(グラボー、1983=1989、p.47)。

21

「『かたち』と『コンテクスト』を『適合』させていく作業を基本にするという意味で、アレグザンダーの『形の合成に関するノート』を継承しているが、アレグザンダーが複数の『コンテクスト』を一括して統計的な処理を行うのに対し、『超線形設計プロセス』では『コンテクスト』をひとつひとつ段階的に『かたち』に合成し、差分を可視化させつつ履歴を保存し、コンテクストとかたちの関係を動的に捉えようとする点が異なる。『超線形設計プロセス』では、差分ファイルのひとつのように思考を外部化するプロセスを模型のレベルに留めておくことで、フィジカルな空間の限界を回避している」(藤村、2014)。

02

連もまた、アレグザンダーの理論に対する批判的検討がなおざりにされてきたという同型の指摘を行っている。「1968年における初期のパタン・ランゲージは『システム』としての特性が強く、そのなかに格納されるパタンは更新されることを前提とした『コンテンツ』であり、システムそのものとは分けて考えられていた。しかし、70年代を通して『システム』と『コンテンツ』が一体化し書籍としてパッケージ化されることで、『パタン・ランゲージ=1977年に出版された書籍』として、コンテンツとシステムが一対一対応のものとして認識されるようになる。これは自明のことであるが、じつはあまり指摘されていない。アレグザンダーに対する批評はこのことに対して自覚的であるべきだ」(連、2015)。

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「『ジャンプしない』『枝分かれしない』『後戻りしない』というルールを実行すると、まるで卵から魚が発生していくように設計履歴の全体がひとつの流れとして記録され、建築形態の発生過程が美しく可視化される。設計の履歴が可視化されることでチーム内での情報共有がしやすくなり、設計過程で入れ替わったり、新規に加わったりしたメンバーにも意図を伝えやすく、また教育的効果もある。専門家の知識によって暗黙的な知を、誰にでも理解・応用可能な形式的な知へと転換することができるこの方法は『批判的工学主義』の考え方に照らしてもふさわしい」(藤村、2014、p.138)。

0.はじめに1964年にその博士論文『形の合成に関するノート』(以下ノート)で鮮烈なデビューを飾ったC.アレグザンダーは、設計方法論研究(design methods)という新々の分野の旗手として一躍スターダムに伸し上がった。その後も注目を浴びる論考・著作を次々に発表し*01、建築思想家としての地位を確固たるものとする。しかしとりわけアレグザンダーの方法論を徹底してつくられた《盈進学園東野高校》に対しては主に同時代の建築家たちから否定的な評価が相次ぎ、これを契機として建築分野では過去の人として扱われるようになった。結果として設計方法論として有用か否かという点ばかりが取り沙汰され、理論それ自体に対する批判的検討が十分に行われることのないまま、建築史の一ページに刻まれてしまったという経緯がある*02。一言で言えば、アレグザンダーの設計方法論は今日、ひとつのドグマと化してしまっているのだ。

 本論の目的は、アレグザンダーの理論と真正面から向き合い、彼の影響の外であり得た──あるいは、あり得る──オルタナティブな設計方法論の可能性を探求する事にある。それはドグマとしてのアレグザンダーによって刻まれたバイアスを解体し、現実に即した設計方法論を再構築することに他ならない。したがって本論では、アレグザンダーの設計方法論が意図せず辿った希有な道筋を議論の対象とする。
 あらかじめ簡単に説明しておこう。物語は、ノートの実践における反省を踏まえて提案された「パタン・ランゲージ」から始まる。当初の期待とは裏腹に建築界からの評価は芳しくなかったものの、発表からおよそ10年の時を経て、K.ベックとW.カニンガムという二人のプログラマの導きにより、パタン・ランゲージは意図せずネット文化へと輸出される*03。その「現象に繰り返し現れるパタンの記述」という考え方は、インターネットという新たな環境と高い親和性を見せ、エクストリーム・プログラミング(XP)とWikiという成果を残した。そして今日、インターネットの普及やCAD・BIMの発展に伴い、生成変化をとげたアレグザンダーの設計方法論が建築学の領域へと逆輸入されつつある。本論ではそのケーススタディとして、藤村龍至と連勇太朗という二人の日本人建築家を取り上げる。
 XPおよびWikiを経た建築学への隔世遺伝というかたちで為された実践のセリー。これを詳細に読み解く事で、もうひとつの「デザイン」のあり方──設計方法論研究が見落としてきたそれ──が浮かび上がってくるだろう。

 以上の主題を取り扱うべく、本稿はまず第一節においてアレグザンダーの理論を精緻に分析し、その限界を明らかにする。第二節ではネット文化が技術的に果たしたその超克の内容について記述する。さらに第三節では今日行われつつある建築への逆輸入の様相を取り上げ、アレグザンダーの設計方法論がどのような生成変化を遂げたのかを記述する。第四節ではそこから逆算されるオルタナティブなデザインの世界観を推論し、結論へと至る。
1.アレグザンダーの理論──メディオロジー的実践としての設計方法論本節では背景となる設計方法論研究の歴史*04を簡単に説明した上で、アレグザンダーの代表的な設計方法論である「ノート」「パタン・ランゲージ」に埋め込まれた思想を読み解いてゆく。一見まったく異なるアプローチに思える二つの方法論はここでの議論を経ることで、実は同型の理論構造に支えられた表裏一体の理論であったことが示される。
設計方法論研究へのイントロダクション
学問としての設計方法論研究の歴史は、1960年代にまで遡る。二度の大戦により廃墟を経験した世界は再び建設をはじめ、戦時の技術革新が次々と民生転用されていった。これに伴い、デザインの対象たる人工物は、従来の芸術家的あるいは職人的な経験と勘では太刀打ち出来ないほどに複雑化する。また戦時の技術思想が引き継がれ、生産の合理化・効率化が至上命題となった。こうした状況の変化が、既存の方法に成り代わる「新しい方法」を要求する。すなわち、デザイナーがデザインの過程で抱える問題を、科学的・合理的に解決するための方法論が求められたのである。形式論的にデザイン活動を構築しようとするこの動きは、世界的なムーブメントにまで発展し、1962年には初の設計方法論に関する国際会議がロンドンで開催*05されることになる。
 しかし、70年代に転換点が訪れる。デザインが解こうとする問題の多くは、それがどのような問題であるかということ自体が不明確であるという性質を持った「意地悪な問題(wicked problem)*06」であると主張する声が現れたのである。どのような問題であるかが不明確ならば、それを合理的に解決する為の方法論は原理的に設計し得ない。なぜなら問題に対して合理的な状態とは何か、それ自体が定義できないからである。したがって科学的・合理的な整合性のみを求める方法論は手法としての欠陥を抱えていると考えられたのだ。前世代のアプローチに対する反省として現れたこの動きは、後に「人間中心設計(human centered design)」とよばれる領域を切り開いてゆく。ここでは認知科学や意味論に基づき、ユーザーの理解を通じて人工物を設計することが目指された。
ノートとパタン・ランゲージ──その論理的/方法論的/ダイアグラム的な異同について

一方では60年代に為された設計の形式化への試みが存在し、他方では70年代の「意地悪な問題」の反省を経たアプローチが存在する。アレグザンダーは、この二つのアプローチそれぞれを象徴する設計方法論を残している。1964年の「ノート」が前者に対応し、1977年の「パタン・ランゲージ」が後者に対応する*07。以下ではそれらの論理構造を検討してゆく。

 ノートにおいて、アレグザンダーは、コンテクスト(問題)とかたち(形態的な解決)の適合が生み出す調和のとれた全体を「アンサンブル」と称し、その問題構造が具現化された実態としての「ダイアグラム*08」を獲得するための形式的な方法論を示した(以後ダイアグラムとしての「かたち」を物理的/形態的な「形」と区別して用いる)。またパタン・ランゲージにおいても、ノートと同様に、「名付け得ぬ質」と呼ばれる理想的な状態に対し、これを実現する為の手段が提案され、その適用のための幾つかのルールが事前に定義される。このように「アンサンブル」と「名付け得ぬ質」は、方法論上目指されるべきものとして前提されている。二つの方法論は、超越的な目的が設定され、なおかつ目的合理的に構成されているという点で、同質の二元論的な論理構造を有しているとみなすことが出来るのだ。
 ただし方法論の内実においては両者に明確な違いが存在する。ノートの方法は、「コンテクストとかたちの不適合を取り除く」というルールを全面的に適用することで、問題の構造(コンテクスト)と完全に一致するかたちの構造を探索するものだ*09。対してパタン・ランゲージの方法は、あらかじめ定義されたパタンの集合から、問題状況に適したパタンのネットワークを構築定義し、形へと翻訳する。このように二つの方法論は「探索」と「定義」という異なる種類の手続きによって構成されているといえるだろう。
 しかしこの手続き上の差異は、ただちに解消されねばならない。次の二つの図を見て頂きたい。左図はアレグザンダーがノートにおいて示した問題(コンテクスト)のグラフ構造であり、右図はパタン・ランゲージに収録された253個のパタンの参照関係をグラフ構造で示したものである──右図が左図の拡張された図式に見えてこないだろうか。
alexander-diaglams
 この類似は視覚的なものに留まらず、論理的なものでもある。具体的に見てみよう。左図(ノート)はコンテクストの構造であると同時に、実はこれを満たすかたちの構造の発見が前提とされている。すなわち、左図の構造全体が「アンサンブル」の状態に到った時、各ノード*10もまた小さな「アンサンブル」──それぞれがコンテクストとかたちの適合を満たしている状態──を実現する事になる。一方、右図(パタン・ランゲージ)はノードのひとつひとつが、現実の都市からサンプリングされた「繰り返し現れるパタン」である。これは、予めコンテクストとかたちが適合した関係、すなわち小さな「アンサンブル」である。ノード同士の間に引かれたパスは、その関係性を記述している。したがってグラフ全体も──たとえこのパタンすべてが現実化した空間が存在しないとしても──理論上は「アンサンブル」の状態にあると言える。つまり、左図も右図も部分(ノード)の「ミクロなアンサンブル」と全体(グラフ構造)の「マクロなアンサンブル」が同時に達成された構造という意味において、等価に扱うことが出来る。
 この事は、二つの設計方法論が探索と定義という異なる手続きを採用しているにも拘わらず、その目的たる超越的な状態(「アンサンブル」/「名付け得ぬ質」)の内実は同一であることを意味する。つまりアンサンブルと名付け得ぬ質は、理論的には、同じ概念を別の呼び名で呼称しただけのものなのだ(したがって以後、「アンサンブル」と「名付け得ぬ質」を、いずれもアンサンブルと表記する)。さらに言えば「マクロなアンサンブル」を探索的に獲得する(ノート)か、あらかじめ用意された定義域から状況に応じた「ミクロなアンサンブル」の集合を抜き出すか(パタン・ランゲージ)という二つの方法論の違いは、結果的に見れば本質的な差異を持たないということになる*11
アレグザンダーの詐術
理論上、方法論上の到達点に違いが認められないという本論の理路を敷衍すれば、ノートとパタン・ランゲージそれぞれにおいて、方法の作動を通して処理される情報の性質も同等であると見なすことが出来るはずだ。パタン・ランゲージにおいては現実の都市・建築からサンプリングされた具体的な要素──すなわち「パタン」──を、ノートにおいては形式的な手続きによって構造化された問題──すなわち「ダイアグラム」──を、それぞれ情報を担うメディア(媒体)とみなすことが出来るだろう。
 したがって、仮想的な問題構造(ダイアグラム)と、現実からのサンプリング(パタン)を等価に扱うことができる。このことはメディアとしての「かたち」と「パタン」が、共通の性質をもった表現形式であることを意味している。これらが二つの方法論のなかで「ミクロなアンサンブル」の表現として利用されていることから考えれば、その共通の性質は「ミクロなアンサンブルを媒介している事」として理解することができるだろう。ただしこの事は同時に、反転した見方をも可能にする。
 ダイアグラムとパタンは、いずれも「ミクロなアンサンブル」という性質を纏わせる機能をもったメディアであると考えることはできないだろうか。形式的に処理された純粋な情報や観察可能な実態としての形態が、これらのメディアを通して表現されることによって、アレグザンダーの理想を分有する特別な知の様相を帯びるのだと。この視点からここまでの議論を逆照射すれば、アレグザンダーの二つの方法論とは、なんのとりとめもない情報や形態に「アンサンブル」という性質を付与するメディアの演出戦略である、という新たな解釈が可能になる。すなわちアレグザンダーの設計方法論は「コンテクストとかたちの適合を前提とするアンサンブル」という性質を帯びたメディアを組み合わせることで、解くべき問題とその解決策を同時に構成するアクロバットだったのである。しかしここで構成された問題は、詐術の為せるものである。なぜなら、ここには問題を問題として構造化するようにつくられたメディアが、当の問題自身を解くというマッチポンプがあるだけだからだ。アレグザンダーのデザイン論は、「何がデザインの問題か」を、どこまでいっても明確にすることはないのである。
2.ウェブ文化への輸出──アレグザンダー思想の技術的漂白既に述べたように、アレグザンダーの設計方法論は、《盈進学園東野高校》の成否を巡る論争を契機として、建築分野では過去のものとして扱われるようになった。しかしアレグザンダーの思想に影響を受けたK.ベックとW.カニンガムという二人のプログラマによって、アレグザンダーのミームはネット文化へと漂着し、あらたな形を獲得する。本節では、ネット文化におけるアレグザンダー受容の歴史*12を概観しつつ、こうした動きがアレグザンダーの理論にもたらした生成変化の内実を読み解く。
WikiとXP──ネット文化への漂着と、そこからの飛躍

K.ベックとW.カニンガムは、パタン・ランゲージにおけるアレグザンダーの思想に影響を受け、この成果をコンピュータのシステム設計やプログラミングに取り入れられないかと考えた。彼らが共感したのは、パタン・ランゲージの使用法に関してアレグザンダーが示した、「使い手自身が作り手になるべき」という考え方であった。オブジェクト指向プログラミングという新しいプログラミング言語パラダイムの渦中にあったベックとカニンガムは、コンピュータの使い手自らがプログラミングを行う未来を夢想してパタン・ランゲージを読んだのだ。
 こうした取り組みは、ソフトウェア開発における「デザインパターン*13」として結実する。これはソフトウェア開発に繰り返し現れる状況とそれを解決する為のコードを一貫した形式で記述・カタログ化したもので、プログラミングの敷居を引き下げることを目的としていた。この流れがひとつの飛躍を生む。ソフトウェア開発を進めるプロセス全体をパタンの対象として取り込むというアイデアが現れたのだ。パタンの利用についてのパタン、すなわちメタ的なパタンの適用である。その成果は1994年に、ジム・コプリエンによって「プロセスパターン*14」として纏められた。これ以降、ソフトウェア開発の組織やプロセスをうまく進めるための知見の蓄積・共有はムーブメントとして顕在化する。さらにこうした知見を「極端なまでに実践する」というコンセプトの下、ベックによってエクストリーム・プログラミング(以下XP)が提案され、メタ的なパタンの実践はひとつの到達点にいたる。その真髄は、XPの価値合理的な態度にあった。ここでは目的に適った行為を追求する目的合理的な態度とは異なり、ソフトウェア開発がうまく作動するときに見られる経験的な法則*15を徹底的に順守すること自体に価値が見出される。ここでは、何が最終的な成果物であるか自体が、プロセスの作動を通して事後的に構築されるのだ。
 他方でカニンガムは、収集されたパタンのためのソフトウェア「パターンブラウザ」を開発していた。これはパタン同士の関係性を、ハイパーリンク*16に基づくネットワーク構造として記録するものであった。カニンガムによって実験的な共同編集のテスト*17も行われ、複数人でそのコンテンツを共同編集していくというアイディアの有効性が認識されるようになる。さらに91年のインターネット登場を機に、こうしたパターンブラウザの知見を発展的に継承したソフトウェアが開発された。それがWikiである。その実装の過程においても、ひとつの飛躍が見られた。何事もシンプルで効果的な解決策を好んだカニンガムは──所与のものとしてではなく改変可能なものとして──「カテゴリ」という情報をもコンテンツの一形態として取り扱ったのである。これにより、Wiki全体をひとつの記述タイプだけで一元的に構成することが可能になった。
 ここまでアレグザンダーの設計方法論がネット文化への継承過程で経験した二つの飛躍を紹介してきた。ひとつはデザインパターンからXPへと到る中で行われた、「パタンのメタ的な適用」であり、もうひとつはWikiの実装において為された、「カテゴリをコンテンツの一形態とみなし、全体を一種類の形式で構成したこと」である。次節からはこれらの飛躍が、アレグザンダーの設計方法論に対して有する意味合いについて議論してゆく。
ひとつ目の飛躍──パタンのメタ的な適用
アレグザンダー理論のネット文化への継承におけるひとつ目の飛躍は、メタ的なパタンの適用という新たな知の形式を生み出した。これは都市のサンプリングによって形成されるパタン・ランゲージにおいてはありえない形式である。したがってアレグザンダーの設計方法論への直接的な影響は無いように思える。しかし実際には、パタン・ランゲージの前段にあたるノートに対して、新しい解釈を可能にするものであった。どういうことか。
 ノートにおいては、目前の問題が持つコンテクストの全体を形式的に分解することで、マクロなアンサンブルを実現するためのかたちの構造(アンサンブル)が獲得される。しかしこれには、コンテクストの全体は静的なものであり、問題解決行動を通して変化しないという暗黙の前提条件が存在する。というのも、形の構造を現実化したあとでひとつでも見落としていたコンテクストが発見されたとしたら──その作用によってコンテクストの構造全体が組み替わってしまうために──、獲得されたかたちの構造が無為に帰してしまうからである。その意味では、ノートの方法によって獲得されるかたちの構造は、問題状況の変化に極端に弱いという性質を持っていたといえる。
 これに対してベックとカニンガムによるデザインパターンに見られたメタ的なパタンによる問題解決は、一度にコンテクストの全体を計画するのではなく、出来るところから少しずつ、手戻りが無いように開発を進めることによって、問題構造の変化に対応する。この作動は、原理的には二つの状態の往復的な遷移行動として記述できる。①現在認識しうる問題の構造に適合するかたちを構成する(ここではソフトウェア)。②うまく作動するかをテストする。新たな問題が確認されたら問題の構造を更新し、①に戻る。新たな問題が確認されなければ、開発を終了する。開発が終了した時、認識可能なすべての問題は排除されているので、この状態はマクロなアンサンブルと同型の構造を持っていると言ってよい。線形的な問題解決行動の連続によって、ノートにおけるコンテクストとかたちの適合を達成することが可能なのである。
 しかしこの事の射程はそれに留まらない。ノートにおいてアンサンブルは、形式的な問題の構造化を通して細分化された問題のサブセットと、それに対するデザイナーの解決の妥当性を判定するために、都度呼び出される。したがってアンサンブル無しにノートの理論は成立しない。他方でメタ的なパタンの適用においては、アンサンブルが立ち現れるのは開発が停止される一度のみである。さらにここでのアンサンブルは②の状態における整合性判定の結果でしか無い。つまりここでのアンサンブルは超越的な位置を剥奪され、単なる停止信号へと還元されているのである。したがってメタ的なパタンが予めコンテクストの全体を計画しないという事実は、もはやアンサンブルという概念を持ちださなくとも、アレグザンダーの目指したコンテクストとかたちの適合が実現できることを意味する。
二つ目の飛躍──パタン同士の整合性判定
二つ目の飛躍は、カテゴリ(集合)とコンテンツ(要素)の区別を撤廃したという点に見出される。この事は、要素間の包含関係という制約を取り除くことにより、Wikiに蓄積される知識の構造をツリーではなくネットワーク状に構成することを可能にする。すなわち、パタン・ランゲージにおけるパタン同士の関係性と同等の構造を構築する表現力を獲得した、ということである。しかし構造的には同一であっても、パタン・ランゲージとWikiには決定的な相違点が存在する。それはそれぞれのネットワーク構造が、どのようにして生成されるのか、という点においてである。
 パタン・ランゲージにおけるパタン同士の関係性は、その構造がマクロなアンサンブルを構成しなければならないという制約の下にある。したがってパタン同士を結ぶ全てのパスの引かれ方は、それがマクロなアンサンブルとして不適合を有していないか、というトップダウンな整合性判定に基づくことになる。さらに、アレグザンダーはこの関係性の編集権を、パタン・ランゲージのユーザーに開放していない*18。つまり、一度決まったパタン同士の関係性は、基本的に所与のものであり、マクロなアンサンブルとしての整合性を永久に保障されているのである。
 対してWikiにおける要素同士の関係性は、ユーザーによってボトムアップに生成される。Wikiにおける制約はひとつ、他の要素との関係性を持たない要素は作れない、というものである*19。しかしそのような分権的な仕組みにおいて、要素間の整合性はどのように担保されているのだろうか。
 ここで注目したいのは、要素同士の関係性のバリエーションである。要素はカテゴリについての情報が記述されている場合と、コンテンツについての情報が記述されている場合の二つのパターンがある。したがってありうる関係性としては、①カテゴリ―コンテンツ、②コンテンツ―コンテンツ、③カテゴリ―カテゴリの三パターンである。実はたったこれだけの条件で、関係性の整合性が形式的に判定できるのだ。
diaglam2
 まず、①カテゴリ―コンテンツの場合を考えよう。この場合、カテゴリがコンテンツを包含する概念ならば、この関係性は正しい。このことは、それぞれの内容を確認すれば判定できる。
 二番目に、②コンテンツ―コンテンツの場合を考えよう。この場合は、隠れた第三項として、それぞれのコンテンツが含まれるカテゴリを考える。二つのコンテンツが同一のカテゴリに所属していれば、この関係性は正しい。次にカテゴリが一致しない場合、それぞれのコンテンツがそれぞれのカテゴリと相互に関係性を結ぶことができないかどうかを、①を用いて検証することができる。ひとつでも新しい①カテゴリ―コンテンツ関係が結ばれれば、このコンテンツ―コンテンツの関係性は真である。そうでなければ、この関係性は偽である。
 三番目に、③カテゴリ―カテゴリの場合を考えよう。この場合は、隠れた二つの第三項、それぞれのコンテンツと、それぞれのメタカテゴリについて、②で行った検証を行う必要がある。コンテンツ、メタカテゴリ、いずれにおいても隠れた/新しい関係性が認められなければ、この関係性は偽である。

 要素がカテゴリとコンテンツの両方を担うという性質により、Wikiを構成するすべての要素間の整合性について、①カテゴリ―コンテンツ関係を応用することによって、誰でも判定・修正できることが示された。これは、パタン・ランゲージにおいてアレグザンダーがマクロなアンサンブルによってトップダウンに担保した関係性の整合性を、ボトムアップに実現したものと解釈することが出来る。言い換えれば、トップダウンな方法でしか担保され得なかったマクロなアンサンブルの整合性を、分散的な方法によってボトムアップに実現したのである。またWikiは、パタン・ランゲージとは異なり、関係性の編集権を万人に開放するインセンティブとその実現可能性を有している。関係性の整合性判定がカテゴリ/コンテンツの差異を利用して形式的に担保されているので、仮に間違った判定がなされていたとしても、ユーザーによる修正を期待することができるからだ。コンテンツ間の整合性判定の形式化と、編集権の開放というWikiの二つの性質は、パタン・ランゲージにおけるマクロなアンサンブルを分散的に実装したものとみなすことができるだろう。
アレグザンダー思想の技術的漂白
XPとWikiを読み解くことで、アンサンブルが方法論の論理構造において占める位置が明らかになった。ノートにおいては問題解決の妥当性を、パタン・ランゲージにおいてはパタン同士の関係性の正当性をそれぞれ担保するのが、アンサンブルの役割であったといえる。加えてネット文化への移植の過程で生じた二つの飛躍は、いずれもアレグザンダーの理論を内側から解体するものであった。すなわち、アンサンブルをわざわざ持ちださなくても、プロセスの作動や要素同士の整合性判定それ自体によって、問題解決行動が展開されるようになったのである。この事は、アレグザンダーの建築的な理想が埋め込まれた論理構造を情報技術によってことごとく一元論化し、漂白する過程であったと言えるだろう。
3.建築設計への逆輸入──アンサンブルからコンセンサスへ
アレグザンダーによる(想定外の)ネット文化への貢献は、Windows95の普及によって広く浸透し始める。建築学の領域も例に漏れず、CADやBIMの普及に伴って、情報空間の構想力を設計行為に逆輸入しつつある。こうした状況の変化を踏まえつつ、アレグザンダーの批判的継承を行った設計方法論が日本に存在する。藤村龍至の「超線形設計プロセス論」と、連勇太朗の「モクチンレシピ」がそれである。本節では二つの実践の共通点について考察する*20
再びメディオロジー的実践について──ネット文化の継承・発展
彼ら自身の言説によれば、XP的な設計方法論を提案しているのが藤村の「超線形設計プロセス論」であり、Wiki的な設計方法論を提案しているのが連の「モクチンレシピ」である。ノートが問題の構造全体の把握とその同時的な処理を行うことで、かたちとコンテクストのマッチングを一回的かつ静的に行おうとするのに対し、藤村の方法は現状の問題を模型制作という形で繰り返し確認することにより、XPのようにかたちとコンテクストのマッチングを動的に行う*21。パタン・ランゲージがありうる問題状況自体を予め定義し、その関係性を固定化してしまうのに対し、連の実践は、改修のメソッドをレシピという形でデータベース化した上で、現実世界とのインタラクションを通じてその関係性を絶えず更新するWiki的なシステムを実現している*22
 ここでの疑問は、なぜ二人の実践はXP的、Wiki的な構想力を建築の領域において引き継ぐことができたのか、ということだ。たしかにXPとWikiはアレグザンダーの方法論を再構築したが、それは情報空間という前提があってのことだったのではないか。建築という物理現象を相手にする領域において、どのように情報空間で起きた生成変化を再現したのだろうか。

 そこで第一節のアレグザンダーと同様に、二人の設計方法論をメディオロジー的実践として解釈し、彼らのメディアを分析することにしよう。問われるべきは二つの設計方法論において用いられる媒体(メディア)と、そこで取り扱われる情報の性質はいかなるものなのかという点である。
 前者においては、設計プロセスを通して制作される模型の履歴が設計の媒体にあたる。ではこの履歴が表現する情報とはなにか。それは、連続する任意の二つの模型の差分によって間接的に表現される、建築的な操作(operation)の情報である。また後者における設計の媒体は、ひとつひとつのモクチンレシピである。ここに記録されているのは、既存の木賃賃貸アパートを改修するための方法群、つまりは先行する状況を建築的形態とみなし、それに対して加えうる建築的な操作のパタンである。これもまた、メディアは違えど藤村と同じ類いの、建築的操作に関する記述であると見なすことができる。
 異なる二つの実践を引き継いだそれぞれの設計方法論が、異なるメディアを用いながらも同じ類いの情報を記述していることは興味深い。この事実は何を意味するのであろうか。
 メディオロジー的実践としての設計方法論の立場にたてば、「模型の差分」、「レシピ」というメディアは、それぞれ建築的な「操作」という性質を情報に付与するものとして理解することができる。しかしそのあり方は、それぞれ異なった方法論に裏打ちされている。
 藤村の場合、模型の差分は、設計案の可能な変更のうちのひとつが確定されたことを意味する。新しいバージョンの建築模型を作ることは、すなわちひとつ前のバージョンからの変更を形態として確定し、以後事後的に得られた形態を前提として議論を進めることの了承とみなされる。重要なのは、差分の模型化による固定が、設計者とクライアントの間で交わされた操作に関する「合意」の固定とも読めることだ。つまりここでの「差分」は、任意の問題に対する操作への互いの了承を表象するメディアなのである。従ってメディアとしての操作は、単なる形の変更だけでなく、それ自体への「合意」という特別な儀式を加えた、そのセットとして解釈できる*23
 他方で連の場合、操作に対する「合意」は異なった形式で行われる。潜在的なレシピの利用者は、既に木賃物件を所有する主体である。レシピはそれに対する操作のバリエーションであり、オンラインで万人に提示されている。レシピが現実に適用されるのは、利用者が自身の所有物件に適用できる任意のレシピを選びとり、これを用いるときである*24。合意抜きの操作のデータベースは、いわば想定問題と想定回答のセットである。たとえ利用者との間に事前的な対話が一切発生していなくとも、利用者が現状の問題とその解決策としてレシピを見なすならば、いつでもその現実化が発動する。したがって藤村が模型を同期的な対話のメディアとして用いるのとは対照的に、ここではレシピの適用という形での「合意」が、時間的な制約を無視して非同期的に発生するのである。
ポスト・アレグザンダーの設計方法論──藤村龍至と連勇太朗
藤村の方法論は、クライアントとの対話に応じて、都度の形態に対する操作のバリエーションを洗い出し、そのうち互いの合意が取れるものを固定化してゆくものである。対して連の方法論は、予め操作のバリエーションを定義しておき、利用者が自身の形態に適応するものを見つけ出すのを待つ、という方法である。しかしいずれにせよ、最終的な「合意」の調達によって、それぞれの操作はひとつのデザインの進展として了承されることは変わらない。
 したがってアレグザンダーがデザインをコンテクスト(問題)と対応するかたち(形態的な解決)とのマッチング(適合)として捉えたように、藤村・連のデザインをコンテクスト(時間的に先行する状況)と、それに対する操作(形態的な変更)のマッチング(合意)であると記述することが出来る。これらに対してメディアとしての性質が付与されるのは、アレグザンダーにおいては「不適合のなさの知覚(アンサンブル)」によってであり、藤村・連においては「不適合のなさの合意」によってである。この特別な合意を纏った操作のことを、本論では「コンセンサス」と呼称したい。
 この時、アンサンブルとは異なって、メディアとしての効力が事後的に策定されることに注意したい。すなわちコンセンサスによるデザインとは、常にその成果が事後的に現れるような、時間軸を伴った方法論なのである。この意味において、操作はありうる可能な変更の束として理解することが出来る。藤村と連の立場に立てば、デザインとは常に可能性のひとつを選び出し、現実化する行為に他ならない。
 すなわち藤村・連の設計方法論は、問題の操作についての合意(コンセンサス)を得るためのメディア利用によって、「何が解かれるべき問題であったか」を都度構成する方法だということである。しかもこの問題性は、たとえそれが問題であるという前提を予め付与されたメディアの構造化によって演出されたものにすぎないとしても、コンセンサスを通した追認によってデザイン行為として現実化される。アレグザンダーが構築したメディオロジー的実践としての設計方法論に必然的に伴っていたマッチポンプをむしろ逆用することで、実践的な介入可能性を開放したのが藤村と連の設計方法論だと考えることが出来る。
4.デザインのシステム論的転回──新しい設計の哲学に向けて以上、アレグザンダーの設計方法論が生成変化してきた歴史を概観してきた。アンサンブルという超越的な状況の達成を目的として構築されたアレグザンダーの二元論的な方法論は、ネット文化における再構築の過程を通して建築家としての理想を漂白され、方法論のレベルで一元論化される。その実践を引き継いだ藤村・連の二人は、建築的な「形」ではなく建築的な「操作」という知の記述によって特徴付けられ、コンセンサスという時間軸を伴った設計のメディアを獲得していた。本節では藤村・連の方法論を踏まえて、それらが無矛盾に成立するデザインの世界観を推論する。
table ここまでの議論を整理しよう。アレグザンダーの方法論が、建築的な理想に到達する為の二元論的な形を取りつつ、ダイアグラムやパタンを通して建築的な「形」についての情報を取り扱っていたのに対し、藤村・連の方法論は、超越的な概念の前提なしに問題解決行動の妥当性を担保するネット文化の方法論を継承し、模型の差分やレシピを通して、建築的な「操作」という情報を取り扱っていた。二つの設計に対する解釈の差異を改めて思考すべく、再びアレグザンダーの立論を見直したい。
アレグザンダーからシステム論への離陸

アレグザンダーのノートにおける議論を改めて検討しよう。ノートは「アンサンブル」という超越的な前提によって構築されていたが、その根拠はアレグザンダーの言う「不適合の認識」によっている。すなわち私たちがデザインの良し悪しを直感的に判断する時、そうした判断は「このかたちはコンテクストと適合している」という積極的な認識によってではなく、「このかたちとコンテクストは適合していない」という消極的な認識によって行われるというのだ*25。この文脈において、アンサンブルは「不適合のない状態」という逆説によって定義される。
 しかしここでアレグザンダーは、人がデザインの良し悪しを判断できるということ自体については述べているが、そうした判断の境界がどのように引かれるかについては一言も述べていない。私たちはここで、彼が判断の境界について語り落としているということ自体に注意を向けねばならない。なぜなら、これこそがまさしく「不適合の認識」という前提のうえに構築した「アンサンブル」という神話によって、アレグザンダーが創りあげたドグマであったからである。その意味で、本稿の議論はドグマとしてのアレグザンダーを悪魔祓いすべく、ネット文化への輸出およびそれを経由したアレグザンダー理論の飛躍というかたちで裏読みしてきた過程なのであった。

 では、ドグマとしてのアレグザンダーを超えて判断の境界を見定めようとした時、それはどこに見い出されるか。あらためて藤村・連の方法論を見てみよう。彼らの方法論は、建築的操作の線形的な構成ないし介入によって特徴づけられていた。こうした操作の(非)連続的作動を、ある種の社会システムの挙動としてマクロレベルで解釈することはできないだろうか。すなわち藤村・連の方法論は個別的な実践などではなく、それによって作動する高次の社会システムをシミュレーションしているのだと。
 そのように解釈するのであれば、デザインの良し悪しを判断する境界は、マクロレベルのデザインシステムとでも呼ぶべき構造の作動によって、副次的に立ち現れる境界線として理解できる。このシステムは、個々人が日常的に行うあらゆるミクロなデザイン上の判断を構成要素として、人間とは切り離された場所で独立に作動するマクロな構造体である。デザイナーを取り巻く環境は──ちょうど個々人の支払い行為の連鎖によって社会システムとしての「経済(economic system)」が立ち現われるように──、個別のデザイン行為(操作)がマクロレベルで見せる振る舞いとしての「デザイン(design system)」と解釈することができるのだ。
新しい設計の哲学──「形の合成」から「操作の集合」へ
以上、アレグザンダーの理論の生成変化を辿る事で、設計方法論研究が見落としてきたもうひとつの「デザイン(design system)」の存在を認識するに至った。それはすなわち、デザイナーを取り巻く操作の連続としての、一種の社会システムである。アレグザンダーが「形の合成」によって解決が前提された問題を生み出す、それ自体予定調和的な設計方法論を構想したのに対し、オルタナティブな設計方法論は「操作の集合」によって際限なく制作を繰り返し、人工物のランドスケープに介入してゆくような装置となるはずだ。

 そして建築的操作を最小の構成要素として駆動するデザイン・システムを構想することは、ミクロな設計行為における手つきからマクロな社会システムの作動までを連続的に思考する「新しい設計の哲学」の構築を要請する。それは集積回路のようなナノテクノロジーの産物から、伝統工芸品のような野生の成果物、果ては建築・都市スケールの巨大構築物まで、ありとあらゆる人工物のランドスケープを「操作」という観点から統一的かつスケーラブルに取り扱う枠組みとなるはずだ。その先にこそ、アレグザンダーが見た夢──設計の統一理論という地平が開かれている。
引用文献アレグザンダー, C.(1984)『パタン・ランゲージ―環境設計の手引』平田翰那=訳、鹿島出版会
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連勇太朗(2015)「生成力を設計せよ──1968年のC・アレグザンダーへ」『10+1 web site』http://10plus1.jp/monthly/2015/03/issue-03.php[Accessed on 3 March 2016].
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