[review] Disc Review: tofubeats – FANTASY CLUB

Miii|“あの頃”から僕たちがずっと考えていた“ファンタジー”について

DESCRIPTION

Miii=1992年生まれ、音楽アーティスト。執筆活動としては、UNCANNYを中心に音楽レビュー・インタビュー等を提供、2015年には「Maltinebook」に共同編集者として参加している。

CONTENTS

azumamiko|特集に寄せて POKORADI archive vol.02「問い続けること、問いを証明できないこと、その間で。」 tomad|FANTASY CLUB ―象徴から再び風景へ― 米澤慎太朗|きみが持ってるものを見せて Miii|“あの頃”から僕たちがずっと考えていた“ファンタジー”について 太田知也|Time for a pint. Ninja|(Coming Soon) texiyama|(Coming Soon) 横山純|(Coming Soon)

 いわゆる「ネットレーベル」というカルチャーとともに生きた僕たちの青春はとうに過ぎ、今や誰しもがRTだってlikeだって結局は味気ないものであることを知っている──もはや、ネットレーベルという言葉すらレガシーなものに思えてきている。あの頃は、何か夢中になれていたはずのもの、強大なファンタジーがダンスフロアにはあった筈だった。もちろん今だって、何かしらの期待を抱いてクラブに足を運んでいる。ただ、暗いフロアのどこにいても、客観的に自分の立ち位置を確認する醒めた自分が存在してしまっている。音楽の陶酔には限りがあり、それは意識的で勤勉な努力でもってしか保たれないことを知ってしまっている。そんな感覚が、いつからか頭の片隅に染みつくようになった。
 それは、音楽、そして音楽が魅せてくれるファンタジーに踊らされる側から、それらを使いこなして、物語を紡ぎながら踊る側へ移行した、ということなのかもしれない。いつまでも子供でいるわけにもいかない僕たちは、ファンタジーとのドライな関係を受け入れ、様々な言葉と演技を使いこなし、戦略を持って自分たちの居場所を保守し続けている。
 陶酔と覚醒の往復に慣れてしまった僕たちにとって、『FANTASY CLUB』のサウンドは戸惑っているように聴こえる。その陶酔と覚醒の狭間を小刻みに揺れ動くサウンドとしてそこに立っている。戸惑いの合間にtofubeatsの言葉を吐き出しながら、かつて、強大だったころの音楽の夢を露呈させながら、『FANTASY CLUB』は突き進んでいく。

 表題曲「FANTASY CLUB」に浮かぶ風景は、シンセのリフが解け合い弾け合いまどろみに溶けていく「幻影」と、明瞭にドラムマシンから鳴り続け反復されるイーブンビートが入り混じるものであり、視聴者の意識は目の前の幻影と、際限なく続く反復の狭間で曖昧に揺らぎ続ける。少ない構成要素の反復によって無限遠の陶酔を生み出すのがダンスフロアであるとして、この「FANTASY CLUB」では常にその反対側の覚醒が常に想起される。僕たちは、ふとした瞬間に、陶酔から覚醒の側への移行を意識せざるを得ない。偏執的なまでに解体されたビートメイクによって安定したダンスとリスニングを解体する「OPEN YOUR HEART」や、上昇型の転調を繰り返し続けることでビートミュージックのループ要素を意識させるような「THIS CITY」にも、音楽の間にハッと自己意識を思い起こしてしまうような「気づき」の型が潜んでいる。
 そして歌詞の中でも、「CHANT #1」の“これ以上もう気づかないでいい/君は”や、「WHAT YOU GOT」の“もうそんなの気にしないで/もうそんなの気にしない”のように、「意識すること」について逆説的に考えさせられてしまうメッセージがところどころに差し込まれる。それらは、陶酔と覚醒の二つを上手くやりくりしながら踊ることに慣れてしまった僕たちに投げ込まれる言葉のようにも思えて仕方がない。「BABY」で歌われる、“わかってるふり”をする優しい「君」への憧憬と畏敬(ここにおける「自分=tofubeats」と「君」の立ち位置は、かつての僕たちと「ファンタジー」との関係と同型である)や、アルバムを“でも簡単にはいかない”“でも反対には行けない”というtofubeatsの今までのキャリアと心情の軌跡を端的に言い表す形で締めくくる「CHANT #2 (FOR FANTASY CLUB)」も、“信じたいことを信じ”られていた「かつてのファンタジー」の示唆のように聞こえてくる。
 僕たちがたやすく飛び越えるようになってしまった陶酔と覚醒を、『FANTASY CLUB』はあえてぎこちなく渡る。分類することで説明できるようなわかりやすさからかけ離れた、その一様に飲み込まれない複雑さでもって、『FANTASY CLUB』は、昔僕たちが得体の知れないものに触れるように接していた畏敬なる幻想、その姿形を擬似的に目の前に登場させるのである。それは、「かつてのファンタジー」を、扱いやすく変形させられた現状から揺り戻すための復権運動のように響く。
 だが、「かつてのファンタジー」によく似た形の『FANTASY CLUB』は、その強大さを思い出させるアルバムというだけではない。むしろ、そこに提示されているのは、ファンタジーとの新たな「付き合い方」であるように感じる。僕たちは音楽に対して、自ら踊ることをやはり恐れてはいけない。そんな勇気を与えてくれるアルバムである。
 信じたいことを信じる。自らのやり方で、自らのステップを踏む。その集合体の自由な動きが、また新たなファンタジーのようなものとして映るのかもしれない。