[review] Disc Review: tofubeats – FANTASY CLUB

Jun Yokoyama|音を信じて

DESCRIPTION

Jun Yokoyama=an independent photographer

CONTENTS

azumamiko|特集に寄せて POKORADI archive vol.02「問い続けること、問いを証明できないこと、その間で。」 tomad|FANTASY CLUB ―象徴から再び風景へ― 米澤慎太朗|きみが持ってるものを見せて Miii|“あの頃”から僕たちがずっと考えていた“ファンタジー”について 太田知也|Time for a pint. ANISOTRONICA|Stay real, or go to the JUSCO. texiyama|信じたいことは信じにくいから Jun Yokoyama|音を信じて

02

https://wired.jp/2017/01/03/needs-dont-matter/

03

http://fnmnl.tv/2017/04/03/26823

04

http://fnmnl.tv/2017/05/25/30844

05

Henriques, Julian., (2003), Sonic Dominance and the Reggae Sound System Session., The Auditory Culture Reader, NewYork: Berg.

06

http://fnmnl.tv/2017/05/30/31030

07

http://fnmnl.tv/2017/04/03/26823

08

https://wired.jp/2017/05/24/tofubeats-fantasy-club/

09

https://youtu.be/51cSy4lWWJw

10

https://youtu.be/iIJ9lW8s45U

01

https://wired.jp/series/wired-audi-innovation-award/23_tofubeats/

 いまさら言うまでもなく、DTMやSoundCloudは「誰でもクリエイターになれる」世界を用意し、スマートフォンや低価格で高性能なイヤホンなどの再生機器、そして(速度制限が来るまでの)インターネット環境は「どこからでも世界中の良質な音楽を即座にチェックできる」という、音楽ファンにとっての理想郷を作り上げた。しかしながらその生産性の向上/コストの削減は、反作用として職業音楽家の存在意義を揺るがせている。アイドルグループの握手券を例にあげるまでもなく、音楽はフリーミアム化の一途をたどり、トップ・ミュージシャンや職業プロデューサー以外のミュージシャンにとっては、「商売として音楽をやっていく」選択肢を取ることが難しくなってきている。「パッケージ化された音楽が売れない」状況では、企業とのタイアップが前提化するだけではない。ミュージシャンにとって音楽で食っていくのが自明のことではなくなり、「音楽の外側の話」──つまり「ガワ」で稼ぐようになる。もちろんそれがいい悪いという話ではなく、それはプライベート(・ビジネス)の話でもあるし、マーチャンダイジングやコラボレーションは音楽を続けていくための一つの戦略だろう。

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 tofubeatsはライブや営業、制作で東京に来る時、必ず新幹線がホームに入線する動画や車内の写真をInstagramのストーリーにアップする。それは単純に彼が大きくて動くものに否応なくテンションがアガってしまうオタクであるからかもしれないが、同時にtofubeatsなりの儀礼であるようにも感じられる。それは、ホームタウンの神戸から東京へ移動するにあたって、「神戸の河合佑亮」もしくは「TR-774」からtofubeatsに変身するためのものであるか、そこまででなくても、気合い入れて行くぞ、なんて儀式のようにも見える。

 最初に長々しく書いた話と合わせて考えると、それは内面的な「気合い」や「仕事モードへのスイッチ」という話だけでもなさそうだ。神戸から東京へ。周りから否応なく「あのtofubeatsさん」として見られてしまう「ガワ」がビジネスを支配する世界に飛び込んでいくための儀式だろう。それは、もちろんかつての、来たるべきコミュニティとしての「インターネットの世界」から出てきた彼にとって、「売れることとはそういうこと」と想像していたこと以上のものであるというのは想像に難くない。

 昨年、tofubeatsと都内の無印良品に行った時のこと。無印良品週間で少しお買い求め安くなった店内を見渡しながら、tofubeatsは「最近はおちおち出歩けない」と言う。「気づけばネットに目撃情報がアップされているから」と。「ほんとかね?」と返すと、さっそくTwitterに「tofubeatsを無印良品で発見」と書かれていたのを見つけ、「ポケモン化するtofubeats」にそわそわし、そそくさと無印良品を後にした。

 神戸から東京への移動を物理的な移動と割り切っていても、大都会「東京」に行けば自分がどう振る舞うか等、音楽以外の活動も価値を生産する活動=労働になってしまう。「This City」の人工的なリフレインがすでに内部で共鳴している東京は、価値を生むことを強制しながらドライブする都市だ。価値を生産することができるなら、音楽活動だけでなく、あなたのすべてを動員しなさいと要請する。

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 tofubeatsは「レーベルの人には聞かれたくないが、自分のアルバムがたくさん売れればいいけど、自分の作品が作品の価値以上に売れるとも思っていないし、価値以上にアルバムが売れてしまうバブル的な状況を望んでいない」と、繰り返し言っている。それは、音楽家のプライドの現れかもしれないが、音楽を作ることと売ることを分け、販売の数値によって創造物の価値を決定しないスタンスの表明でもある。売ることを前提とした制作、つまりマーケティングを制作に介在させないように、慎重にゲームを選ぶ*01

 ましてや好んで着るシャツの派手な柄とは裏腹に、過度な露出も好まない。彼はInstagramに必要以外の時、セルフィーや自分が写っている写真をアップすることはない。車窓からの風景や、何事もない神戸の街並み、読んだ本、食べたパン、おいしかったお菓子、彼がInstagramのアカウントを別で持っていたなら、そんな写真がずらりと並んでいるだろう。「SHOPPINGMALL」のデジタル配信用ジャケットの写真を選ぶ時に私は「顔が大きく写ってる写真の方がファンの人が喜ぶからいいんじゃない。有名な写真家もそう言ってたし」と言ったが、tofubeatsは「この写真がいいと思ったんです。Needs don’t matter*02です」と言いきって、顔のはっきり写っていない真っ暗な写真をセレクトした。私はまだ自分が撮影したこの写真の良さは分からないが、「SHOPPINGMALL」を作ったミュージシャンが何かひっかかる写真を撮れたことはうれしい。そもそもシャイだからという理由以外にセルフィーを撮らないのも、「単純に喜んでもらえるかどうかじゃない」という同じ理由だろう。

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 昨年秋にtofubeatsが突如SoundCloudで発表した「SHOPPINGMALL」では、ほんとに世間は「ガワの話」ばかりな現代を批判してくれたと、一聴して大きく同意した。しかし、よくよく聴くとむしろその矛先は大いに同意してしまった自分にこそ向けられているようだ。tofubeatsは「それでも、おれも(お前も)人のこと言えたクチか?」と自問する。なんとなく自分自身はYouTubeの再生回数や他人の評判に関係なく「何が良いか分かっている」と思っていたけど、実際自分も適当なことばっかり言ったり、いいアルバムってなんだ?と分からなくなっている人なんじゃないか、どうなんだ、と。言い換えると「tofubeatsさんよく言ってくれた!」と両手を挙げて喜ぶ人こそ、ポスト・トゥルースに批判的であるようで、ポスト・トゥルース時代の尖兵になってしまっているのではないか、と。

 tofubeatsはトランプ大統領やフェイク・ニュースを捏造するグループに対する真っ向からの批判に賛同するよりも、そもそもどうしてこうなったのか?と自己懐疑し、この状況に至る道のりの理解と進路を明らかにしようとしている(もちろん彼もそれらについて苦々しく思っているだろうが*03。明確な旗色を立てることが陣営に回収され、「直感的」な賛否で人々が分断され、「批評」が機能しなくなっている状況で、「分からない」と積極的に言い切る態度を取る。そして「気づかないでいい」と繰り返し呼びかける。気づくことがむしろ避けるべき態度であるかのように。「ポスト・トゥルースの時代だからこそ真実に気付かないといけない!」という命題こそ避けるべきものとして。アルバムを通じてあれも「ない」、これも「ない」、「なくていい」と繰り返し、ネガティブな時代に「明快に分からない」と答える*04。明確なスタンスを出さないことは、それは考えるのをやめることでなく、インスタントに分かることに対する積極的な決別だ。

 [メジャー][インディー][クラブの現場][さらにその下]とみなされていたインターネットから登場し、「lost decade」というアイロニーを自身最後のインディーリリースのアルバム・タイトルとして掲げ、神戸のベッドルームからJ-POPのフィールドへ打って出た。中流階級・ニュータウン出身の「持たざる者」として──ちょっとした今までのネガティブもPOSITIVEに変えて。彼ら/彼女らにとっての希望の星として颯爽と登場した彼はシティ・ポップの旗手にされていた、いつの間にやら。ビッグ・シティは若い気概のある人間を常に求めているから。やっていくぞ! とがむしゃらに猛進してきた自分も望む/望まないにしろ、その「ガワの話」が聞こえてくるようになった。その間にtofubeatsを育てたインターネットは理想に描いていたコミュニティではなく、島宇宙となりフェイク・ニュースと数値に支配されるディストピアになってしまっていた。

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 人気TV番組や人気俳優/ミュージシャンのラジオ番組出演後は、東京だけではなく、神戸でも出現報告をされるようになってしまったようだ。彼の安らぎは、自身の部屋か、タイムズ・カーシェア、もしくは新幹線の中にしか存在しなくなっていたのかもしれない。急激に彼を取り巻く状況が変化しつつある2017年6月中旬、tofubeatsは自身初の海外ツアーを台湾・台南市、台北市で行った。私はtofubeatsの写真係として4日間の旅程に同行した。

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 午前10時頃、成田空港に少し早めに到着した我々はカフェで時間を潰していた。tofubeatsは何も食べようとしない。彼の鬼門でもある胃腸を気遣ってのことだそうだ。小粋なトークで、久しぶりの長時間フライトを前にした彼を和ませようとするものの、こちらがひとつ会話のタネを仕向けると、彼はその10倍で返してくる。tofubeatsはよくしゃべる。しかしそれはフライト前の緊張と、人と一緒にいる状況がそうさせているようだ。彼は機内に乗り込んですぐに提供されたパック入りのおかきをひとつまみだけかじり「これぐらいにしておきますわ」と吉本新喜劇ばりのセリフを吐き捨て、眠りについた。

 初日のライブは台南市の小さなカフェ。2日目は台北に移動し、台北のクワトロと呼ばれる、700人規模のライブハウスThe Wallに向かった。サウンドチェックを終え、オープン前から並んでいたお客さんが入場するのを楽屋から見ていると、横にいたtofubeatsは突然腕立て伏せを始めた。聞くと、どうも緊張している時はそうするらしい。「(グループでなく)一人でやってるんで、自分が緊張しているっていうことを言える人がいないんですよ」。だから自分で解決するしかないそうだ。もちろん彼にとっての海外初ツアー。昨日の台南市のカフェのキャパシティは多く見積もっても100人程度だったが、今日は立派なライブハウス。台北のバンドと日本から来ていたSouth Penguinの2アクトに囲まれ、ヘッドライナーをtofubeatsは務める。もちろん緊張しないわけはない。「大丈夫だよ、きっとうまくいくよ」といった生ぬるい励ましを彼も求めているわけではなかったが、とっさに「自分の音を信じて」と言ってしまった。彼は「なんすかそれ」と笑った。

 *

 tofubeatsは緊張する必要があったのだろうか。台湾の人はほとんど日本語を話せる上に、今日、日本からのアクト2組を観に来た人に対してなら、なおさら日本語は伝わるだろう。『FANTASY CLUB』はまだ台湾ではリリースされていなかったとはいえ、彼らはあらゆる手段を使って音源を入手し、聴き込んできていて、だからライブでは当然いい反応が返ってくることは間違いない。「水星」を歌えばみんなハッピーだ。集客的な意味でも、オープンから会場はほぼ満員だ。プロモーターに対しての申し訳なさも無いだろう。

 何が彼を緊張させたのだろう。リハーサルを終えてから時間があった私たちは近くの夜市に足を運んでみた。tofubeatsは人の目を気にすることなく地元の屋台に並び、さつまいものお菓子をほおばった。無類のお菓子好きのtofubeatsは台湾で一番の「おいしいおいしい」を連発していた。台北は彼にとってホームではないが、そんなに居心地が悪いものではなかったにちがいない。ここでは、写真撮っていいですかと言われたりすることもないし、Twitterに「tofubeatsがさつまいもボールを食べていた」とか書かれることもない。しかし、それは同時にミュージシャンとしての本質的な価値を問われる、「ガワ」からむき出しの状態にあるということでもあるのだと、どこかで感じ取っていたのではないだろうか。

 でも簡単には
 いかないしなって
 音鳴らしたりした
 ──CHANT #2

 *

 『FANTASY CLUB』でtofubeatsは、あれだけ迷ったり、「分からない」「ないない」言いながらも、アルバムを通じたサウンドには明確な意思を込めている。自分は行ける範囲でtofubeatsのライブやDJの撮影をさせてもらっているが、その明確な意思は、5曲目に収録されている「OPEN YOUR HEART」のブレイクにつまっているといつも感じる。

 業界は景気が悪いし、「ガワの話」ばかりだし、SNSとスマホは「音楽」の一瞬を切り取ったポストにしかしない。もはやアーティストはポケモンかバトルカードだ。デジタル・フェティシズムは体験と引き換えにエンゲージメントを得ることで満たされる。しかし、tofubeatsは「OPEN YOUR HEART」の間では圧倒的な音楽体験以外を許さない。「OPEN YOUR HEART」が演奏され、EDMかと聞き違える程の圧倒的な大小の音の粒の去来するブレイクの瞬間、フロアは爆音に包まれながらも静まり返る。それまでiPhoneを掲げていたファンたちは、ブレイクでは黙ってステージを見つめるだけ、という光景を何度も見てきた。大げさでなく、この曲中、自分もシャッターを押す手が止まったこともあるし、もしくはたかぶりすぎて撮りすぎることもある。

 イギリスのサウンドシステム/メディア研究者のジュリアン・ヘンリックスは、レゲエのサウンドシステムと他の音楽経験を分けるのは「ソニック・ドミナンス(聴覚の優勢)」の存在であると説明する。サウンドシステムの大音量、そして強調された低音は、オーディエンスの聴覚以外の感覚を麻痺させる。聴覚が最優先される空間が創りだされると、オーディエンスは音楽や、そこでの体験に没頭することができる、とヘンリックスは説明する*05

 圧倒的な音楽体験、つまり聴覚が何よりも優勢な状況に置かれる「ソニック・ドミナンス」はスピーカーの前にいては避けることができない。マスタリングを担当した得能氏は本曲を重要な曲と指摘したが*06、「OPEN YOUR HEART」の特にブレイクの「ソニック・ドミナンス」的な身体経験によって、音楽以外に没入する以外の思考や行動を許さない。それは圧倒的な音楽による身体的な体験で私達をコンテクストやエンゲージメントから引き剥がす。

 近年はライブであれクラブであれ、イベントはすべてInstagramチャンスだ。tofubeatsのライブも多くの人がスマホを掲げ、撮影し、Instagramのストーリーに「水星」をアップする。tofubeatsはインタビュー*07で「DJを楽しめない人が増えたのかもしれない。知っている曲が掛かった瞬間をInstagramにアップできれば満足で、音楽を流れで楽しまなくてもOK」になって来たと感じているが、それは音楽業界の大きな流れでもあるし、そもそも音楽を「流れ」で体験することはおろか、アルバムのライナーノーツ*08で若林氏は、音楽の体験は可能なのかと問う。その問いに対してtofubeatsは台北でも答えてみせた。「『聴く』は受動詞ではなく、能動詞だ。コミットするのはあなたなのだ」と若林氏は文章を締めくくるように、オーディエンスは一瞬のサウンドに身体を任せ、感じ、自らを社会的なコンテクストから引き剥がし、音楽のコンテクストに没入することを「能動的」にできるのだ。『FANTASY CLUB』はポスト・トゥルース時代の自分たちの存在そのもののネガティブな暗喩でもあるが、それはtofubeats流のアイロニーだろう。「何がリアルかリアルじゃないか」がわからなくなってるけど、それでも、だからこそ、「心を開いて」むしろこじ開けないといけないアクチュアリティがここにはある。そしてぼくらはようやく表題曲「FANTASY CLUB」で踊ることができる。

 tofubeatsは感情を振り切ったような音で、ライブ会場の雰囲気をその後で一変させる。「音を信じて」というクサすぎるセリフは、冗談になってもよかったし、本気でとらえてもらってもいいと自分は思っていた。実際tofubeatsがどう思ったかは知らない。けどやっぱり台湾でも「OPEN YOUR HEART」の前後ではまるっきりオーディエンスの音楽への没入の度合いが違ったように感じた。「OPEN YOUR HEART」のブレイクの後はしれっと4つ打ちに変わっている。

 これは単純に高揚できるかどうかという話じゃない。インスタントな高揚感のリアクションをtofubeatsは求めておらず、いつもそんな一体感に関しては懐疑的だ。 DJやミュージシャンがどんな顔やどんな格好をしていたとしても、オーディエンスがその音の中で、結果としてバラバラに、同時に集合的に夢中になってほしい。何を考えていてもいいし、バラバラでいい。けど、せっかくtofubeatsというドアを開いて、クラブやライブハウスという現場に辿りついた人には、もうひとつくらいドアを開いて──もはやtofubeatsを越えて──音楽の旅をしてほしいと思ってるんじゃないかって思う。そんな力強い意思をアルバムから感じるし、そもそも「水星」ってそういう曲じゃなかったっけ? 写真の撮影を仕事にしている自分こそ「本当に音楽にのめり込んでるか?」と振り返らなきゃいけないんだけど、最高の瞬間のときは、自分の意思に関係なく大体手が止まってしまっているから問題ない。みんなそうだろう。何もすべてInstagramが悪いわけじゃない。いいねも思い出も大事。ただ、ミュージシャンや音楽には、撮れ高よりもっと多くのものを求めるべきだ。

 *

 踏み込んだ道の途中
 きっと何かの感情
 歩き出すその勇気
 持ってるだけできっと
 大丈夫
 ──YUUKI

 彼は誠実に今の自分の気分を確かめ、疑い、正直にラップにし──年に1回くらいしかできないそうだ──、そして音を鳴らした。社会と自分とに切実に向き合ったアルバムの制作を終えた彼は、何に気づいたのだろうか? 彼はアルバム制作や音楽制作を「日記を書くこと」になぞらえるが、制作を通じてふと自分の中でこみ上げる何かに気づいたようだ。

 (レーベルの予算的な問題もあるだろうが)彼はアルバムに収録される楽曲のミュージック・ビデオを自作し始めた。一本8,000円の動画素材を購入して自ら作った「What You Got」のミュージック・ビデオ、自宅スタジオで撮影した「CALLIN’」と「SHOPPINGMALL」のミュージック・ビデオ。「BABY」のライブ動画もコンスタントに編集しアップロードしている。そして極めつけは2017年に制作した『HARD-OFF BEATS』シリーズのリリースだ。アルバム発売前のスケジュールを縫って(ディレクターでありマネージャーの杉生氏は少しあきれていたが)、tofubeatsは突如「これは今やらないと!」と高まり、自分のポケットマネーで友人アーティストらを招集し、「春の陣 東京発着編」*09と「大阪発着編」*10の企画/編集を一人で行った。

 コンテクストや「ガワの話」を横に置いておいた時、自身のそもそものクリエーションのモチベーションはどこにあるのかと考えた時に、彼はその自分の最初の話に戻ったんだろう。『水曜どうでしょう』やウェブサイト「デイリーポータルZ」のファンであることをはばからずに公言する彼は、「誰でもクリエイターになれる」という初心を大切にして実行し始めたようだ。もちろん見た目はプロが作るものに比べたら拙いかもしれないが、Needs don’t matterだから問題ない。圧倒的なサウンド・ドミナンスな体験をすること、実感からスタートすること、そして「些細なこと 夢中になるように 他人のことを気にしないように」やっていくだけだ。もうすでに「What You Got」のコーラスをよく聴くと「何が食べたいか」についてtofubeatsは恥ずかしげもなく「サイゼーサイゼー」と何度もシャウトしてるんだから。