歌うべき歌(チャント)があり、高く上げるべき拳があり、応援すべきチームがあり、倒すべき敵がいる。たしかにフットボールそれ自体が美しく、芸術的で、ディープで、世界中の人たちを熱狂の渦に巻くスリリングなスポーツである。が、なぜこうまでして、つまり、出費に出費を重ねながらスタジアムに行くのかと自分を問い詰めた時に、結局コミュニティとアイデンティティの問題かもしれないとぼくは思った。つまり、めんどーくせーけど、無くしたくないもの…。
──野田努「味気ない我らが街に悦びを」『SHUKYU Magazine』2号、2016年、9頁
『FANTASY CLUB』を聴いてわかったことがある──終電を気にしながら受け取る最後のワン・パイントこそ、tofubeatsにうってつけのシチュエーションだ。
一杯になった灰皿はもう帰れと言っている。食い散らかした、ピスタチオの残骸も。それでもわたしたちは、最後のワン・パイントが生んでしまうドラマを知っている。それが呼び込む機運を知っている。ロスタイムのワン・トライがセットプレーを呼び寄せるのだと、期待せずにいられるか? How can you not be romantic about football?
「ファンタジー・クラブ、入れたらいいな」──それに続く数節は、機運に賭けるキッズを肯定するようでいてしかし「だって大人だし……」と釘を刺すのを忘れない。いずれにせよその日だけは──その日だけは、と思っている毎週末は──、終電を逃していい気がしてしまう。朝が来るまで引き延ばされたロスタイムはそこから始まる。
タイム・フォー・ア・パイントなハッピーアワーがとっくに終わっているのなら、ロスタイム・フォー・ア・パイントが代わりを果たしてくれるだろう。