『POSITIVE』がリリースされた辺りから、次のアルバムは『LOST DECADE』のような、同時に開かれても閉じてもいるような作品になるかと思っていたが、『FANTASY CLUB』はそんな予想を超えてより内省的なアルバムだと感じられた。
振り返ってみると、メジャーレーベルからリリースされた『First Album』と『POSITIVE』は、それまでの場所からより開かれたフィールドに向かうためのアルバムになっていたように思える。“インターネット”という(今や“セカイ”ぐらいに広く茫漠とした意味しか持っていないように思える)概念の象徴であろうとして、目に見えない遠くの的に向かって精一杯、メジャーのフィールで球を投げていた。そりゃ身体にもガタが来る。ポジティブって言ってる奴が本当にポジティブな訳がない。
『FANTASY CLUB』はどうか。そこには、そうした象徴を目指す戦略からは外れて、ありのままに見える彼が佇んでいる。
そんなストーリーの移行にアートワークが追走している。『First Album』では天使のような何かのモチーフが石板に刻み込まれているというまさに“象徴”的なアートワークがあり、『POSITIVE』では力強いチアリーダーの少女が誰かを奮い立たせている。だが今回の『FANTASY CLUB』では、1つの視点から1つの風景が描かれているだけだ。
ふとしたきっかけで引き起こされる回想のようにぼんやりと浮かんでくる、思い出とも言えないような曖昧な風景の連続。それによって再び彼はこの“セカイ”を切り録って表現しようとしている。
晴れた日のタクシー ふとした瞬間 思い出はまた重なりあっていく
──tofubeats – LONELY NIGHTS ft. Young Juju
象徴から風景へと彼は戻って来た。肩の力が抜けたその球は追い風にのってふわっとさらに遠くに飛ぶだろうか、いやもしかしたら向かい風に飛ばされてベンチに逆戻り? 「でも、そんなの気にしない」──朝起きて顔を洗うように球を投げ続けることで彼は自分自身が今どこにいるのかを測る。
不意に世間の風が吹くとそれは思ってみなかった方向に飛んでいく。ゆっくりと落ちていく球を眺める。ぐるぐると歩き回りながら再び自分がどこに立っているかを考える。『FANTASY CLUB』ではそんな日々が続いている。